岡本綺堂(読み)オカモトキドウ

デジタル大辞泉 「岡本綺堂」の意味・読み・例文・類語

おかもと‐きどう〔をかもとキダウ〕【岡本綺堂】

[1872~1939]劇作家小説家。東京の生まれ。本名、敬二。2世市川左団次と提携、新歌舞伎の劇作家として活躍した。戯曲「修禅寺物語」「鳥辺山心中」、小説「半七捕物帳」など。

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精選版 日本国語大辞典 「岡本綺堂」の意味・読み・例文・類語

おかもと‐きどう【岡本綺堂】

  1. 劇作家、小説家。東京出身。本名敬二。二代目市川左団次の歌舞伎革新運動に加わり、新歌舞伎「修禅寺物語」「鳥辺山心中」「番町皿屋敷」「権三と助十」などを発表。また「半七捕物帳」などの大衆小説もある。明治五~昭和一四年(一八七二‐一九三九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡本綺堂」の意味・わかりやすい解説

岡本綺堂
おかもときどう
(1872―1939)

劇作家、小説家。本名敬二。別号狂綺堂、甲字楼主人。明治5年10月15日、東京、芝高輪(しばたかなわ)に生まれる。父敬之助はもと120石取の御家人(ごけにん)で、のちイギリス大使館勤務。東京府立一中卒業後、1890年(明治23)東京日日新聞社に入社以後各社を転々としつつ劇評を執筆、また劇作に励んだ。1902年(明治35)1月歌舞伎座(かぶきざ)での岡鬼太郎(おにたろう)との合作『黄金鯱噂高浪(きんのしゃちほこうわさのたかなみ)』が自作上演最初。ついで1908年7月、川上音二郎の革新興行で、2世市川左団次のために『維新前後』を書いて両者の提携が生まれ、1911年5月明治座上演の『修禅寺(しゅぜんじ)物語』が成功して、新歌舞伎作者としての出世作となった。1913年(大正2)から記者生活を離れ、作者活動に専念、主として左団次のために『室町御所』『佐々木高綱』『鳥辺山(とりべやま)心中』『番町皿屋敷』『尾上伊太八(おのえいだはち)』等を次々と発表、また1916年からは『半七捕物帳』(68編)を起稿して捕物帳の先駆をなした。

 1919年2月欧米劇壇を視察、1923年関東大震災後居所を転々、その間に『梅の由兵衛(よしべえ)』『権三(ごんざ)と助十(すけじゅう)』『新宿夜話』のほか、『三浦老人昔話』等を発表、昭和期に『三河万歳』『正雪(しょうせつ)の二代目』『相馬の金さん』『おさだの仇討(あだうち)』等があり、以前の主題を強調した歴史物から世話物や喜劇に転じ、詩情をたたえた枯淡の味をみせた。1930年(昭和5)月刊戯曲雑誌『舞台』を創刊し、後進の指導と作品発表の場をつくった。1937年帝国芸術院会員。昭和14年3月1日没。

菊池 明]

『『岡本綺堂戯曲選集』全8巻(1958~59・青蛙房)』『岡本経一著『綺堂年代記』(1951・同光社)』『岸井良衛編『岡本綺堂江戸に就ての話』(1955・青蛙房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「岡本綺堂」の意味・わかりやすい解説

岡本綺堂 (おかもときどう)
生没年:1872-1939(明治5-昭和14)

劇作家,小説家,劇評家。本名敬二。別号狂綺堂,甲字楼主人。東京高輪に生まれた。東京府立一中時代から劇作に志し,1890年東京日日新聞入社,93年中央新聞社会部長となり,劇評も担当。1913年まで記者生活を続けた。処女作《紫宸殿》(1896)の後,1902年1月岡鬼太郎と合作の《金鯱噂高浪(こがねのしやちうわさのたかなみ)》が歌舞伎座に上演された。その後文士劇若葉会に自作を上演したが,08年9月2世市川左団次に《維新前後》を書き,11年5月の《修禅寺物語》の好評によって,両者の提携になる〈新歌舞伎〉の路線が定着した。13年以後作家活動に専念,左団次主演の多くの名脚本とともに,14編の新聞小説があり,16年からは《半七捕物帳》を起稿した。19年第1次大戦後の欧米劇壇を視察,帰国後《戦の後》を発表。30年演劇雑誌《舞台》を創刊して後進を育成し,みずからも晩年まで劇作につとめてうまなかった。初期の史劇から晩年の世話物,喜劇まで,その多彩な196編の戯曲は,質量ともに黙阿弥以後の第一人者といってよい。近代的自我の主張を伝統的な歌舞伎の技法に生かし,年とともに枯淡な詩情を加えた独自の〈綺堂物〉と呼ばれる作品の多くは,今なお生命を失っていない。前記以外に《箕輪の心中》《室町御所》《佐々木高綱》《尾上伊太八》《鳥辺山心中》《番町皿屋敷》《小栗栖の長兵衛》《新宿夜話》《権三と助十》《相馬の金さん》《天保演劇史》等の代表作がくりかえして上演されている。《綺堂戯曲集》14巻(1924-30),《岡本綺堂戯曲選集》8巻(1958-59),《綺堂読物集》5巻(1925-28)のほか,《半七捕物帳》69編(1916-36),《三浦老人昔話》(1924)等の読物100編,多数の翻訳,随筆,研究等がある。門下に額田六福,北条秀司,中野実らが育った。
執筆者:

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20世紀日本人名事典 「岡本綺堂」の解説

岡本 綺堂
オカモト キドウ

明治〜昭和期の劇作家,小説家,劇評家



生年
明治5年10月15日(1872年)

没年
昭和14(1939)年3月1日

出生地
東京・芝高輪(現・東京都港区)

本名
岡本 敬二

別名
別号=狂綺堂,甲字楼主人

学歴〔年〕
東京府中学校〔明治22年〕卒

経歴
明治22年中学卒業と同時に東京日日新聞社に入社。のち中央新聞社、絵入日報社、東京新聞社と移り、36年東京日日新聞社に再勤し、39年東京毎日新聞社に移る。その間、劇評の傍ら劇作に励み、29年に「紫宸殿」を発表。41年2代目市川左団次のために「維新前後」を執筆し、明治座で上演される。つづいて44年「修禅寺物語」が上演され、新時代劇の作家として注目をあび、以後いわゆる“新歌舞伎”と呼ばれる新作を数多く発表。小説も執筆し、大正5年から「半七捕物帳」を発表、捕物帳の先駆を作る。戯曲の代表作としては「修禅寺物語」「室町御所」「鳥辺山心中」「番町皿屋敷」「権三と助十」「相馬の金さん」などがある。昭和5年「舞台」を創刊し、後進に作品発表の場を与え、12年帝国芸術院会員となった。一方、東日在社時代より句作を手がけ、同僚星野麦人主宰の「木太刀」選者を務めた。俳句・漢詩集「独吟」、「岡本綺堂日記」、「綺堂戯曲集」(全14巻 春陽堂)、「岡本綺堂劇曲選集」(全8巻 青蛙房)、「岡本綺堂読物選集」(全8巻 青蛙房)がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岡本綺堂」の意味・わかりやすい解説

岡本綺堂
おかもときどう

[生]明治5(1872).10.15. 東京
[没]1939.3.1. 東京
劇作家,小説家。本名,敬二。 1889年東京府立一中学校卒業。劇作家を志して,東京日日新聞社を手始めに新聞社を転々,戯曲,劇評などを書いた。『金鯱噂高浪 (きんのしゃちうわさのたかなみ) 』を岡鬼太郎と合作,歌舞伎座で上演 (1902) したのが自作上演の初め。 1908年『維新前後』が明治座で2世市川左団次によって上演され,11年『修禅寺物語』が好評を博してから,主として左団次のために作品を提供,「新歌舞伎」のジャンルを確立した。『室町御所』 (13) ,『鳥辺山心中』 (15) ,『番町皿屋敷』 (16) ,『相馬の金さん』 (27) など 200に近い戯曲を残した。また江戸市井の生活に関する造詣が深く,16年から『半七捕物帳』で推理小説の新しい領域を開いたのをはじめ,多くの小説を書いた。すぐれた劇談,随筆も多い。

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百科事典マイペディア 「岡本綺堂」の意味・わかりやすい解説

岡本綺堂【おかもときどう】

劇作家,作家。本名敬二。東京生れ。多年新聞の劇評を書いたが,2世市川左団次と提携,新歌舞伎の運動を助けて《修禅寺物語》《鳥辺山心中》《番町皿屋敷》など多くの戯曲を書いた。また《半七捕物帳》《三浦老人昔話》などの読物作品もある。
→関連項目鳥辺山

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡本綺堂」の解説

岡本綺堂 おかもと-きどう

1872-1939 明治-昭和時代前期の劇作家,小説家。
明治5年10月15日生まれ。23年「東京日日新聞」に入社。以後各紙で劇評をかく。44年の戯曲「修禅寺物語」が出世作となり,2代市川左団次と提携した「鳥辺山心中」「番町皿屋敷」などおおくの歌舞伎作品をうんだ。小説では「半七捕物帳」が知られる。昭和12年芸術院会員。昭和14年3月1日死去。68歳。東京出身。府立第一中学卒。本名は敬二。別号に狂綺堂,甲字楼主人。

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旺文社日本史事典 三訂版 「岡本綺堂」の解説

岡本綺堂
おかもときどう

1872〜1939
明治〜昭和期の劇作家
本名敬二。東京の生まれ。新聞記者として劇評を書くかたわら脚本を執筆。2代目市川左団次のために『修禅寺物語』『番町皿屋敷』など多くの戯曲を書き,新歌舞伎運動の代表的劇作家となる。晩年は『半七捕物帳』など,多くの小説・読物を発表した。

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367日誕生日大事典 「岡本綺堂」の解説

岡本 綺堂 (おかもと きどう)

生年月日:1872年10月15日
明治時代-昭和時代の劇作家;小説家;劇評家
1939年没

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世界大百科事典(旧版)内の岡本綺堂の言及

【歌舞伎】より

…こうして生まれたのが〈新歌舞伎〉と呼ぶ一連の作品である。大正期になり,外遊から帰った2世市川左団次は,新しい演劇創造の熱意に燃え,小山内薫,岡本綺堂,岡鬼太郎,山崎紫紅,永井荷風,池田大伍という文学者たちをブレーンとし,毎月1作の新作を上演しつづけた。とくに岡本綺堂との提携で生み出した《鳥辺山心中》《修禅寺物語》などは名作で,新歌舞伎の中でも古典的作品となった。…

【修禅寺物語】より

…1幕3場。岡本綺堂作。1911年5月,東京明治座初演。…

【新歌舞伎】より

…この《桐一葉》への賛辞が劇文学者輩出の機運を高め,高安月郊(1869‐1944。《江戸城明渡》《桜時雨》など),山崎紫紅(1875‐1939),岡鬼太郎岡本綺堂らの多くの作品が登場する。これらの作品の特徴は,明治の団菊左や黙阿弥らが辛酸をなめつつ歌舞伎を変革改良しようとした方向ではなく,近代的思想もしくは人間像を歌舞伎の伝統的劇術を借りて表現しようとしたもので,その傾向は現在まで続いている。…

【鳥辺山心中】より

…1幕2場。岡本綺堂作。1915年9月東京本郷座初演。…

【半七捕物帳】より

岡本綺堂作。全68話。…

【番町皿屋敷】より

…1幕。岡本綺堂作。1916年2月東京本郷座初演。…

※「岡本綺堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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