デサイ(読み)でさい(英語表記)Desai Morarji Ranchhodji

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デサイ」の意味・わかりやすい解説

デサイ
Desai, Morarji Ranchhodji

[生]1896.2.29. バデリ
[没]1995.4.10. ボンベイ
インド政治家グジャラート州の村に生まれ,ボンベイ大学卒業後,1918年ボンベイ州の官吏となった。 1930年マハトマ・ガンジーの不服従運動に加わり,ボンベイ州のインド国民会議派の実力者となった。 1952年ボンベイ州首相,1956年中央に出て商工大臣,1958年大蔵大臣となった。 1964年ジャワハルラル・ネルーの死後ラル・バハドゥール・シャストリ首班を争い,1966年のシャストリ死後はインディラ・ガンジーと首班を争ったが,いずれも敗れた。 1967~69年ガンジー内閣の副首相兼蔵相を務めたが,国民会議派内紛から蔵相を解任され,1969年 11月以降国民会議派右派の領袖として,反ガンジー運動の中心となった。 1975年4月グジャラート州で野党連合による州政府を成立させたが,6月の非常事態宣言で逮捕された。 1977年1月に釈放され,3月の総選挙で諸野党結集の人民党総裁として圧勝,国民会議派以外からの初の首相となった。しかし,その後人民党は分裂,1979年7月首相を辞任し,政界を去った。禁欲主義で有名であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「デサイ」の意味・わかりやすい解説

デサイ
でさい
Desai Morarji Ranchhodji
(1896―1995)

インドの政治家。インド西部のグジャラート州出身。1930年にインド国民会議派の民族独立運動に身を投じた。インド独立後、同党の政治家として活動したが、インディラ・ガンディー首相と対立し、会議派反対派の指導者となり、1977年にはジャナタ(人民)党を率いて念願の首相となった。しかし1979年には辞任した。思想的にはマハトマ・ガンディーの民族主義思想を継承したが、会議派内部ではもっぱら保守派の指導的な地位にあった。

[中村平治]

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