議院内閣制の下で,単一の政党が政権を担う〈単独政権〉に対比して,複数の政党が協力して担当する政権をいう。複数の政党によって内閣が組織される〈連立政権coalition government〉とほぼ同義であるが,連合政権のほうがやや広義で,政策協定を基礎に閣外協力関係にある政党の支持によって維持される少数派政権が含まれる場合もある。連合形成政党の組合せによって,〈大連合(大連立)〉と〈小連合(小連立)〉に区別され,主要政党間の連合を〈大連合〉,一主要政党と小政党の間の連合を〈小連合〉という。また,連合形成のさまざまな組合せを通じて不可欠な構成分子である政党は,〈要党(かなめとう)〉と呼ばれる。連合政権は,単独で議席の過半数を占める政党が議会(とくに第一院)に存在しない場合,議院内閣制を作動させるための不可避の方策であるが,単独政権に比して政党の政治的責任のあいまい化,政策の消極化,決定形成の非能率化,小政党によるキャスティング・ボートの掌握などの難点をもつことも否定できない。
しかし,実際上,連合政権の例は世界的にけっして少なくない。イギリスの政治家ディズレーリが,〈イギリスは連立を好まない〉と述べたことは有名であるが,そのイギリスは,1915-22年と1931-45年まで20年余りにわたって,戦時連立内閣,挙国一致内閣を含む連立内閣を経験してきたし,また西ドイツ,さらに1990年10月の東西ドイツ統一後のドイツでは,1949年の第1回連邦議会選挙の結果第一党となったキリスト教民主・社会同盟(CDU-CSU)が,アデナウアー首班の下に自由民主党(FDP)およびドイツ党(DP)と連立内閣を組織して以来,66年12月まではCDU-CSUとFDPを中心とする小連立,その後69年10月まではCDU-CSUと社会民主党(SPD)の大連立,さらにそれ以降はSPDとFDPの,1982年以降はCDU-CSUとFDPの小連立と続き,連立政権以外の政権が成立したことがない。そのほか第2次大戦後に連立ないし連合政権を経験してきた国の中にはイタリア,オランダ,スウェーデン,フィンランド,ベルギーなどが含まれる。
第2次大戦後の日本における連立内閣としては,社会党,民主党,国民協同党によって組織された片山(哲)3党連立内閣(1947年6月~48年3月)と芦田(均)3党連立内閣(1948年3~10月)が,保革連立内閣としてもっとも際立っているが,他に第1次吉田茂内閣(1946年5月~47年5月)が自由党と進歩党の,第3次吉田内閣(1949年2月~52年10月)が民主自由党と民主党の,それぞれ保守連立内閣であった。その後第4次吉田内閣以降保守単独政権が続く中で,1970年代に入っていわゆる〈55年体制〉(保守合同による自由民主党と左右両派の統一による日本社会党との二大政党体制)の崩壊傾向が顕著化し,野党間の連合への動きが活発化してきた。すでに73年共産党は〈民主連合政府綱領〉案を採択していたが,79年から80年にかけての時期には,連合論がとくに高潮し,79年12月には,公明,民社両党の〈中道連合政権構想〉についての合意,80年1月には,社会,公明両党の〈連合政権についての合意〉が成立し,自民,共産両党抜きの連合構想が相ついで打ち出された。
94年の衆議院議員選挙のための小選挙区比例代表並立制導入の影響もあり多党化政治の動向の中で,連立・連合政権は,日本政治にとってむしろ日常的事態ともなってきた。細川護熙内閣(93年8月発足)は,新生,社会,公明,民社,さきがけ,日本新党,社民連等を,羽田孜内閣(94年5月発足)は,新生,公明,民社,日本新党等を,村山富市内閣(94年7月発足)は,自民,社会,さきがけをそれぞれ構成政党とする連立政権であった。
執筆者:内田 満
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
議院内閣制のもと、複数の政党が協力関係を築いて成立した政権。そのうち、複数の政党が閣僚を出して閣内協力を行う場合を連立政権とよぶ。政策協定などを結んだうえで首相指名や予算をはじめ議会での議決に限って協力する閣外協力の場合は、連合政権であっても連立政権ではないとされる。
[中北浩爾 2021年7月16日]
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