デラスカラ家(読み)デラスカラけ

改訂新版 世界大百科事典 「デラスカラ家」の意味・わかりやすい解説

デラ・スカラ家 (デラスカラけ)

1277-1387年イタリアのベローナを支配した名家。家の出自は不明。11世紀同市に定住,12世紀農村に封土を保持した。13世紀前半マスティーノ1世がポデスタ,カピターノ等の同市の重要官職に就任。支援していたエッツェリーノ・ダ・ロマーノの死後,同市に帰還したコンティ派に対抗する。1277年市民たちはデラ・スカラDella Scala家のアルベルトに条例変更権,市財産処分権,裁判権等の統治権(シニョーレ職)を与える。1290年代以後,同市の重要官職が同家により独占された。ダンテを歓待したのも同家である。その宮廷敬意をもってダンテ,ボッカッチョなど著述家に描かれるカングランデ1世(1291-1329)は1311年に皇帝代官に任命された。彼は有力なギベリンの指導者で,彼の時代に同家の勢力は頂点に達した。しかし,フィレンツェ,ベネチア,ミラノとの戦争,都市財政の浪費(同市は華麗な建築物により〈大理石の町〉と呼ばれた),支配者の無能,家族内不和により衰退し,1387年同市はビスコンティ家に占拠される。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のデラスカラ家の言及

【シニョリーア制】より

…一部の都市,とくに大都市に圧迫されているロンバルディアやロマーニャの中小規模の都市において,権力を一人の有力者の手に集中することによって危機を克服する試みが行われた。フェラーラ(1209年以降エステ家が支配)やベローナ(1226年からエッツェリーノ・ダ・ロマーノが,1260年からデラ・スカラ家が支配)などが早い例である。シニョーレとして権力を掌握した者の出自はさまざまであった。…

【ベローナ】より

…一方,町の豪族のあいだで政権争いが始まり,1236年エッツェリーノ・ダ・ロマーノはフリードリヒ2世の援助を得てベローナのシニョーレの地位を獲得した(シニョリーア制)。1260年デラ・スカラ家のマスティーノをカピターノ・デル・ポポロに選びコムーネが再建されたが,マスティーノの弟アルベルトは,みずからベローナのシニョーレとなった。シェークスピアの悲劇《ロミオとジュリエット》はこのスカラ家統治時代に題材をとっている。…

※「デラスカラ家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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