改訂新版 世界大百科事典 の解説
エッツェリーノ・ダ・ロマーノ
Ezzelino da Romano
生没年:1194-1259
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…コンスタンツの和(1183)後,ドイツとの自由貿易の道が開かれると,ベローナは領土拡張主義をとり,フェラーラ,マントバと争った。一方,町の豪族のあいだで政権争いが始まり,1236年エッツェリーノ・ダ・ロマーノはフリードリヒ2世の援助を得てベローナのシニョーレの地位を獲得した(シニョリーア制)。1260年デラ・スカラ家のマスティーノをカピターノ・デル・ポポロに選びコムーネが再建されたが,マスティーノの弟アルベルトは,みずからベローナのシニョーレとなった。…
※「エッツェリーノダロマーノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...