エッツェリーノダロマーノ(その他表記)Ezzelino da Romano

改訂新版 世界大百科事典 の解説

エッツェリーノ・ダ・ロマーノ
Ezzelino da Romano
生没年:1194-1259

イタリア武人北イタリアトレビゾ(ベネト地方)の小領主の子として生まれ,皇帝フリードリヒ2世と組んで活発な軍事活動を行い,ビチェンツァ,パドバ,ベローナなどの重要な都市の君主となった。武勇にすぐれ,ギベリンの代表的武人として恐れられ,フリードリヒの死後も破門されたまま教会戦い続けた。多く伝説を残し,ダンテも《神曲》でとりあげている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

エッツェリーノ・ダ・ロマーノ
Ezzelino da Romano

[生]1194.4.25.
[没]1259.10.1. クレモナ,ソンチーノ
中世北イタリアのベロナ,ビチェンツァ,パドバを支配した貴族。 1226年ベロナのポデスタとなり,初めロンバルディア同盟と結んだが,のち神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世と組んでロンバルディア同盟に敵対。 37年のコルテヌオーバの戦い勝ち,パドバ,ビチェンツァの支配を確実なものとし,ダンテの「地獄編」に記された残虐さをもって敵対者を圧迫した。ローマ教皇インノケンチウス4世により異端として破門され,教皇派 (グェルフィ) との激しい戦争が繰広げられたが,59年ミラノ攻撃に失敗して捕われ死亡した。

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367日誕生日大事典 の解説

エッツェリーノ・ダ・ロマーノ

生年月日:1194年4月25日
イタリアの大領主
1259年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のエッツェリーノダロマーノの言及

【ベローナ】より

…コンスタンツの和(1183)後,ドイツとの自由貿易の道が開かれると,ベローナは領土拡張主義をとり,フェラーラ,マントバと争った。一方,町の豪族のあいだで政権争いが始まり,1236年エッツェリーノ・ダ・ロマーノはフリードリヒ2世の援助を得てベローナのシニョーレの地位を獲得した(シニョリーア制)。1260年デラ・スカラ家のマスティーノをカピターノ・デル・ポポロに選びコムーネが再建されたが,マスティーノの弟アルベルトは,みずからベローナのシニョーレとなった。…

※「エッツェリーノダロマーノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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