日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビスコンティ家」の意味・わかりやすい解説
ビスコンティ家
びすこんてぃけ
Visconti
13世紀中ごろ~15世紀中ごろまでミラノと北イタリアを支配した名家。家名は12世紀なかばに得た称号「副伯」vis-conteに由来する。13世紀にミラノ大司教と並ぶ名誉を得て、発展の基礎を築く。同世紀末にマッテオ1世Matteo Ⅰ(1250―1322)は市政を掌握し、皇帝ハインリヒ7世から代官職を授けられた。14世紀なかば以後その子孫に支配官(シニョーレsignore)職が受け継がれ、支配地もロンバルディア、ピエモンテ、ロマーニャ、トスカナ、ウンブリアに拡大した。1395年ジャン・ガレアッツォGian Galeazzo(1351―1402)が皇帝から公爵位を受け、ミラノ公国の歴史を開始した。この君主制的イタリア支配の野望にベネチアとフィレンツェは共和制的自由を強調して対抗した。ビスコンティ家は、政治術策と芸術愛護のルネサンス的君主を輩出し、フランス、イギリスの王族とも婚姻関係を結んだ。同家の支配は、のちに男系子孫を欠き、ガレアッツォの孫娘ビアンカ・マリアBianca Maria(1425―68)と結婚した傭兵(ようへい)隊長出身のスフォルツァ家に15世紀なかば交替する。
[佐藤眞典]