ドゥホボル派(読み)ドゥホボルは(英語表記)Dukhobory[ロシア]

改訂新版 世界大百科事典 「ドゥホボル派」の意味・わかりやすい解説

ドゥホボル派 (ドゥホボルは)
Dukhobory[ロシア]

心霊キリスト教に属するセクト。1740年ころロシアのハリコフ付近に現れた。名称は〈霊魂のために闘う者〉の意味。創設者はコレスニコフS.KolesnikovとポビロヒンL.Pobirokhinで,農民の出身である。帝政とそれと結託した正教会に敵対した。聖職者,修道士,教会堂,サクラメント十字架イコンなどキリスト教の外面的なものすべてを否認し,独自の《生命の書》と称する聖典を用いた。神は,〈普遍的愛〉〈英知〉〈永遠の善〉として,選ばれた義人のうちに宿るものとされる。キリストは神ではなく,神の理性を最高度に備えた人間である。ドゥホボル派は,農民のユートピア的共同体の理念を追うもので,私有財産を認めず,したがって国家への納税,兵役を拒否した。このため19世紀前半に激しい弾圧にさらされた。そしてロシア中央部からカフカスに強制的に移住させられ,1898年には約7500人がカナダに移住した。なお,かねてドゥホボル派の思想に共鳴していた文豪トルストイが,カナダ移住の費用を援助するため,ひとたび折った筆を再びとり,長編《復活》を書いたことはよく知られている。一部はキプロスに移った。現在のロシアではごく少数が残存し,古い習慣を伝えている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のドゥホボル派の言及

【ロシア】より

…自らを鞭で打ったり熱狂的に踊ったりして恍惚感にひたったのでこう呼ばれたのである。18世紀になってこの派から去勢派(スコプツィskoptsy)とドゥホボル派dukhobory(字義どおりには〈聖霊のために闘う者〉の意)の二つの分派が生まれた。前者は清浄な生活を送るためと称して,一定の年齢に達した男から睾丸を摘出して生殖機能を失わせ,後者は禁欲主義を精神的な方向に進めて地上の教会制度を否定し,天国は個々人の心の中にあると主張した。…

【ロシア】より

…信仰の自由が認められて旧教徒が国内で公然と教会を建て,礼拝できるようになったのは1905年の革命以後のことである。
[去勢派,ドゥホボル派への弾圧]
 旧教徒とは別に,17世紀前半に鞭身派(フリストkhlysty)といわれる教派が現れた。自らを鞭で打ったり熱狂的に踊ったりして恍惚感にひたったのでこう呼ばれたのである。…

※「ドゥホボル派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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