ドシテオス(その他表記)Dositheos

改訂新版 世界大百科事典 「ドシテオス」の意味・わかりやすい解説

ドシテオス
Dositheos
生没年:1641-1707

東方正教会エルサレム総主教。在位1669-1707年。ギリシア人。宗教改革ののち東方正教会に入りこんだカルバン派影響力を排除するため,正教会の教義を成文化することを試み,1672年にエルサレムで開いた主教会議(ベツレヘム会議)で他の総主教の協力を得て,後代《ドシテオスの信仰告白》の名で知られる教書を採択させた。これは,プロテスタント神学論駁(ろんばく)するためにカトリック神学の方法と用語にあまりに頼りすぎたとして,ロシア正教会などから非難された。ドシテオスはまた聖地の管理をめぐってフランシスコ会と争った。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドシテオス」の意味・わかりやすい解説

ドシテオス[エルサレム]
Dositheos of Jerusalem

[生]1641.5.31. アラコバ
[没]1707.2.8. コンスタンチノープル
近代東方教会における重要な教会政治家,神学者。 1666年カエサレア大主教を経て,69年エルサレム総大主教となり,西欧プロテスタンティズムの影響が東方教会に及ぶのを防ぐためにエルサレムで教会会議を開き,カルバン主義によって正教会を改革しようとしたコンスタンチノープル総大主教ルカーリスの説を退けた。『エルサレム総主教区史』 (12巻,1715) ほか多数の著書がある。

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367日誕生日大事典 「ドシテオス」の解説

ドシテオス

生年月日:1641年5月31日
エルサレムの総主教
1707年没

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