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東方正教会

朝日新聞掲載「キーワード」の解説

東方正教会

キリスト教はローマとビザンチン(東ローマ)帝国のコンスタンチノープル(現イスタンブール)を中心に広まり、1054年に分裂。15世紀のビザンチン帝国崩壊でモスクワが東方正教会の最大勢力になった。正教会は1国1教会が基本。20世紀、多くが共産圏に入ったが、冷戦後は民族意識の高まりで影響力を伸ばした。

(2007-05-24 朝日新聞 朝刊 2外報)

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デジタル大辞泉の解説

とうほう‐せいきょうかい〔トウハウセイケウクワイ〕【東方正教会】

キリスト教の三大分流の一。ロシア・中東・東欧を中心とする15の自立教会の連合体。1054年、東ローマ帝国圏のコンスタンティノポリスとローマの総主教座が、東西に分裂。以後、西方のローマ‐カトリック教会に対して、正(オーソドックス)教会として発展。15世紀、ギリシャ正教会オスマン帝国の支配を受けるようになると、主流はロシア正教会ハリストス正教会)に移った。神学と礼拝が神秘主義的性格をもつ点に特徴がある。日本には文久元年(1861)ロシアの司教ニコライによって伝えられた。日本ではギリシャ正教会または単に正教会ともいう。東方教会

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百科事典マイペディアの解説

東方正教会【とうほうせいきょうかい】

イエス・キリストにおける神性と人性の不分離をいう〈カルケドン信条〉(カルケドン公会議)を奉じるキリスト教会のうち,ローマ・カトリックを除く東方の教会の総称で,英語ではEastern Orthodox Church。
→関連項目アトス[山]ウラジーミルキリスト教シリア語セルビアビザンティン帝国ロシア文字

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世界大百科事典 第2版の解説

とうほうせいきょうかい【東方正教会 Eastern Orthodox Church】

ビザンティン帝国のキリスト教会を起源とする一連の教会の総称。〈カルケドン信条〉(451)を教義の基盤とするので,東方のカルケドン派教会と呼ぶこともできる。日本ではギリシア正教の名称がよく用いられるが,これは現在のギリシアの正教会(ギリシア正教会)と混同されるおそれがある。なお,〈カルケドン信条〉を受けいれなかったネストリウス派教会,単性論派教会は東方教会ではあるが,正教会には含めない。東方正教会は,おもにロシア(ロシア正教会),東欧,バルカン半島,西アジアに分布し,それぞれが総主教または大主教(ギリシアの場合)のもとに完全な自治を有する独立教会を成す。

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大辞林 第三版の解説

とうほうせいきょうかい【東方正教会】

キリスト教三大教派の一。ギリシャ正教会・ロシア正教会・ルーマニア正教会などの総称。ビザンツ帝国で成立し、1054年西方教会と分離。神秘主義の傾向をもち礼拝様式やイコンの崇敬に特徴がある。日本では、ハリストス教会、ギリシャ正教会、また単に正教会とも呼ばれる。東方教会。ビザンチン教会。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東方正教会
とうほうせいきょうかい

ギリシア正教」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東方正教会
とうほうせいきょうかい
Eastern Orthodox Church

カトリック教会、プロテスタント諸教会と並ぶキリスト教三大教派の一つ。日本ではギリシア正教または単に正教ともいう。広義の東方教会は、のちに中国へ入り景教とよばれるようになるネストリウス教会や、キリスト単性論とみなされるアルメニア教会、エジプトのコプト教会、エチオピア教会など、キリスト教の異端グループを含む。しかし、東方正教会という場合は狭義の東方教会、すなわち、中東、東欧、ロシアを中心とする18の自立教会の連合体をいう。日本では東方正教会は、他の二大教派のカトリック教会、プロテスタント諸教会と比べて一般になじみが薄い。だが、東方正教会は元来、古代教会の伝統を受け継いでおり、原始キリスト教の精神をよく伝えてきた。古代教会はローマ帝国に発生し、全教区をエルサレム、アレクサンドリア、アンティオキア、コンスタンティノープル(現、イスタンブール)、ローマの五大総主教区に分けた。そのうちローマ教会だけが11世紀に他から分離し、以来ローマ・カトリック教会として発足した。他の東ローマ(ビザンティン)帝国内の諸教会は東方正教会とよばれるようになった。のち、15世紀なかばにビザンティン帝国がオスマン帝国に滅ぼされた。かわってロシアが東方正教の大国となった。[田口貞夫]

歴史と本質

イエスの唱えたキリスト教は、民族宗教のユダヤ教を超えた世界宗教であり、そのために、ローマ帝国の国家主義的体制に適合せず、結局イエスは十字架にかかって処刑された。だが3日後に復活し、40日たってふたたび昇天したという。やがて、復活したイエスと出会ったペテロ、パウロなどの使徒たちは、キリスト復活の福音をローマ帝国領各地に広めた。ローマ帝国では当初キリスト教徒は迫害され、殉教者が続出したが、313年、コンスタンティヌス大帝(1世)によってようやく公認された。彼らは弾圧されればされるほど団結が固くなった。キリスト教が普及した地域はおおむねギリシア文化の影響を受けていたが、ローマ教区だけは文化的に遅れた地域にあり、北方の蛮族と接触が多かったため、ローマの総主教は他の総主教たちのように宗教的権威だけに頼るわけにはゆかず、政治的権威を必要として教皇(法皇)と号した。
 古代教会の信仰の要点を決める全地公会議がニカイア、コンスタンティノープル、カルケドンなどで7回にわたって開かれた(325~787)。決められた内容は、キリストは人間を救うためにこの世に生まれた完全な神であり、完全な人間であり、その二つの性、神性と人性は区別することなく離れることがないという主旨であった。いくつかの説が異端とされた。父なる神と子なるキリストの同質性を否定したアリウスの説はニカイア公会議(325)で、キリストの人性を重視したネストリウスの説はエフェソス公会議(431)で、逆にアレクサンドリアの神学者たちの、神性を重視するキリスト単性論はカルケドン公会議(451)で異端とされた。また、コンスタンティノープル総主教を中心とする教会内部では、8~9世紀に聖像破壊運動(イコノクラスム)が起こり、結局、聖画像の破壊を異端とすることに決まった。東西両教会の間では政治的にも溝が生じた。教皇レオ3世によるフランク国王カール大帝の戴冠(たいかん)(800)は、ローマ皇帝権に対する反逆ともいうべき事件であった。また、コンスタンティノープルではフォチウスが一外交官から一挙に総主教に選ばれたため、ローマ教皇ニコラス1世が反発した。
 教理上の争いもあった。聖霊(神)の発出をめぐって「ニカイア信条」の「父より」に、ローマ側が「および子より」(フィリオクェfilioque)を付加したことに対して東側が非難した。また、聖職者の結婚禁止やイースト菌を入れない除酵パンを聖体として使用することなど、ローマ側の慣行に対して東側が反対した。これらが重なって、1054年ごろから古代教会は東西に分裂し始めて、1204年に、第4回十字軍の西欧兵士がコンスタンティノープルを攻撃したときから、西は西方カトリック教会、東は東方正教会となった。西側のキリスト教がビザンティン帝国に敵対するようになり、両教会の対立はいっそう深まった。1453年にコンスタンティノープルはオスマン帝国に滅ぼされ、コンスタンティノープル総主教下の東方正教会は、19世紀なかばにギリシアがトルコから独立するまでの約350年間、トルコの支配下に置かれた。こうしてビザンティン帝国がトルコの支配下にあった間、ロシアがかわって正教の大保護国であった。
 現在の東方正教会は、コンスタンティノープル、アンティオキア、アレクサンドリア、エルサレム、ブルガリア、ロシア、ジョージア(グルジア)、セルビア、ルーマニア、ギリシア、キプロス、ウクライナ、ポーランド、チェコ、スロバキア、フィンランド、アメリカ、日本の18の自立教会からなっている。西ヨーロッパなどにも、移住者や亡命者により教会が設けられている。日本には1861年(文久1)ニコライにより正教が伝えられた。正教の信者総数は約2億人と推定される。[田口貞夫]

教義

東方正教会は元来、古代教会の継続であり、原始キリスト教の精神に忠実である。東方正教は西のキリスト教に比べて、義よりも愛、十字架よりも復活、罪よりも救いを重んずるといわれる。神人一体であり、神人懸隔ではない。西のキリスト教が聖と俗を区別し、精神を物質の優位に置き、政教分離の傾向があるのに対して、東方正教は聖俗一致、霊肉一致、政教一致が特徴である。また、カトリックが煉獄(れんごく)を認め、マリアの無原罪説をいうのに対して、正教では煉獄を認めず、マリアの無原罪説をいわない。
 カトリック神学が思弁的、体系的で、神について知的に学ぶのに対し、正教では信仰体験即神学である。キリスト教文化のなかに生きて神を体験的に身をもって学ぶのが東方正教神学である。そして正教では、神学は論文としてよりも、聖歌、イコン、教会規則、主教たちの書簡や説教の形で提出される。静寂主義(ヘシカスムHesychasm)は、アトス山出身の聖パラマス(1296―1359)が唱えた。静寂のなかで「イエスの祈り」を唱え、神を瞑想(めいそう)する修道法で、ビザンティン神学を代表する。[田口貞夫]

組織

教会の組織についても、東方正教会はカトリック教会よりも権威主義的でない。カトリック教会では教皇無謬(むびゅう)説をいい、教皇を頂点とするピラミッド型であり、一般信徒を平信徒とよぶ。一方、正教では教皇の無謬説をいわず、教会無謬説をいい、主教や司祭は個人的権威をもたず、一般信徒を平信徒とはいわない。東方正教の聖職者には、主教、司祭、輔祭(ほさい)職がある。司祭、輔祭には修道と在俗の別があり、修道司祭、修道輔祭は妻帯しない。主教以上は修道司祭でなければなれない。主教職の上には大主教、府主教、総主教がある。[田口貞夫]

典礼

東方正教会において、教会生活の基準を示すものを聖伝承という。聖伝承には、聖書、全地公会議の決定、聖師父の著書、典礼、聖歌、イコンなどがある。なかでも、典礼(リトルギア、奉神礼、公祈祷(きとう)ともいう)がもっとも重要である。それは神に仕える人の務めであり、信徒が生涯キリストの生き方を自らの生き方とするためのものであり、信徒に生活の知恵と心得を提供する。典礼には、入会の礼儀(洗礼)、聖体礼儀(エウカリスティア。ぶどう酒とパンを食し、キリストの血と肉を分け合う)、生活礼儀、時の礼儀などがある。典礼に参加する者は、聖書が経典であると同時に聖歌の書であることを意識する。東方正教会では、聖歌を誦(しょう)するときは楽器をまったく使わない。聖歌は心からの祈りであり、楽器を必要としない。また、イコンはキリスト、マリア、聖人などの聖画像で、信者はイコンに描いてある内容を崇拝する。正教では罪よりも救い、十字架よりも復活を重視し、祭りでは西側のキリスト教のように降誕祭(クリスマス)ではなく、復活祭(イースター)がもっとも重要である。パスハ、過越祭(すぎこしのまつり)ともいう。信者はこの祭りに参加することで、この世の終わりから来世の命へと過ぎ越してゆく人間の過程が、キリストの復活によって可能となったことを記憶する。なお、一般に東方正教会の儀式は、西側のキリスト教に比べて東洋的色彩が濃く、日本人の肌にもあうといわれている。[田口貞夫]

日本の正教会

正式には日本ハリストス正教会という。「ハリストス」は、キリストのギリシア語式発音である。日本に正教を伝えたのは、1861年(文久1)に箱館(はこだて)(函館)駐在のロシア領事館付司祭として来朝したニコライであった。彼はペテルブルグ神学大学在学中に、ゴロウニンの『日本幽囚記』を読み、日本にあこがれた。来朝後、日本語や日本史、儒仏、神道(しんとう)などを学んだ。1872年(明治5)に上京し、熱心に布教とロシア文化の紹介に努めた。東京・神田のニコライ堂(東京復活大聖堂)は1891年彼が建てたもので、親交のあったドストエフスキーからも寄付金を得たという。ニコライの在任中、1891年大津事件、1904年(明治37)日露戦争など日本・ロシア間の不幸なできごとがあったが、両国の友好のために尽くしたニコライの陰の努力は大きかったという。永眠(1912)に際して、明治天皇をはじめ、日本朝野の人士がその死を悼んだ。ニコライのあとはセルギイ・チホミロフ主教が布教を続けたが、1917年(大正6)にロシア革命が起こり、援助がとだえた。一方、昭和になって日本は軍国主義時代に入り、邦人主教が選出され、チホミロフは退任し(1940)、終戦の年(1945)に不遇のうちに死んだ。第二次世界大戦後は、国際情勢の影響で、日本正教会はアメリカの独立教会より派遣された主教の管轄下に属していたが、1970年(昭和45)モスクワ総主教より聖自治独立教会(アウトノミア)の祝福を受けた。[田口貞夫]

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世界大百科事典内の東方正教会の言及

【キリスト教】より

…広義のキリスト教とは,これらキリスト信者が受けいれている教え,およびこの教えの実践を通じて,またその影響の下に生みだされた道徳,文化,制度などの総体を指す言葉である。こんにち,キリスト教はカトリック教会,プロテスタント諸教派,東方正教会の3グループに大別され,総数約10億のキリスト信者が全世界に拡散,居住している。
【キリスト教のシンボル】
 キリスト教がはじめて日本に伝えられてから4世紀半,明治初年,布教の自由が再び認められてから1世紀以上経過したが,キリスト教はいまだに,全般的にいって,外来の異質な宗教という印象を脱していない。…

【バチカン公会議】より

…しかし,64,65年の第3,第4会期には,保守派の意向も一部取り入れ,変革の勢いを幾分抑えた。史上最大規模のこの公会議は,65年12月8日閉会の前日,1054年以来の東方正教会との破門状態を相互に解除した。また聖書や教会についても,救済史の流れの中での総合的理解に成功しており,中央集権的排他的であった第1バチカン公会議の不足面を補って,各国司教団や信徒の役割,他教派,他宗教,教会の宣教活動等の積極的評価においても,現代世界への順応と奉仕のための指針においても,画期的であった。…

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