ナオロージー(英語表記)Dādābhāī Naorojī

改訂新版 世界大百科事典 「ナオロージー」の意味・わかりやすい解説

ナオロージー
Dādābhāī Naorojī
生没年:1825-1917

近代インド政治家。拝火(ゾロアスター)教僧侶の子としてボンベイに生まれる。教職を経て1855年からロンドンで商活動開始。イギリス支配を経済的に研究し,インド貧困原因を〈富の流出〉にあると規定した。85年国民会議派創立に参加。86年,93年,1906年,議長を務めた。インド独立を掲げるスワラージ決議採択に力を尽くした。1892-95年インド人として初のイギリス下院議員となった。1904年第二インターナショナル大会にはインド代表として参加している。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ナオロージー」の解説

ナオロージー
Dadabhai Naoroji

1825~1917

インドの政治家。ボンベイ生まれのパールシー。インド人として初めて名門校エルフィンストン・カレッジ教授になったが,政治運動と社会改革運動に身を投じた。1885年,インド国民会議派の創立に参画し,86年,93年,1906年の3度議長を務めた。またイギリスをしばしば訪れ,インド問題の啓蒙に努めた。1892~95年,イギリス下院議員。著書『インドにおける貧困と非イギリス的支配』(1901年)で,インドの貧困の原因をインドからイギリスへの「富の流出」に求め,インド民族主義の主張を経済学的に基礎づけた。

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世界大百科事典(旧版)内のナオロージーの言及

【国民会議派】より

…他はイギリス人官吏のリベラルな部分であった。この流れを背景に,A.O.ヒュームら退職官吏,すでにイギリスで活動していたD.ナオロージーらが尽力して創設したのが国民会議派で,前記協議会も86年以降これに統合された。 こうした背景から,初期の国民会議派はきわめて限られた階級・階層の利害を代弁する穏健な組織で,しばしばイギリス統治の安全弁といわれた。…

※「ナオロージー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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