日本大百科全書(ニッポニカ) 「パールシー」の意味・わかりやすい解説
パールシー
ぱーるしー
Pārsī
インドに移住したゾロアスター教徒。ササン朝滅亡後漸次イスラム化されたイラン人王朝の支配下で、信仰を守ることの困難を自覚したゾロアスター教徒の小集団が、出身地ホラサーンから脱出してついにインドのグジャラートの海岸地方に上陸したのは、伝承によれば936年のことであった。彼らはパールシーつまりペルシア人とよばれ、ヒンドゥー社会に定着するにつれ、現地の言語、衣服、風習を受け入れたが、自分たちの聖なる火を建立して信仰を守り、細々ながらもイランとの接触も保っていた。16世紀ムガル朝のアクバル帝の信仰討議には代表者を送ってアクバルに感銘を与えたという。
イギリスによるインドの植民地化が進むにつれ、パールシーはボンベイ(現ムンバイ)を中心として工業や商業の各分野で飛躍的な発展を遂げた。19世紀には、その経済力を背景として宗教や社会的改革を行い、福祉や教育の普及に目覚ましい成果をあげた。インド独立以後、多くのパールシーがイギリス、アメリカ、カナダなどに移住したが、総人口10万人余のうちなお8万人はムンバイに住む。現在は、結婚年齢が高く出産率が低いこと、および父系によってのみパールシーと認められる純血主義や非改宗主義に由来する人口減少をいかに阻止するかが大問題になっている。
[山本由美子]
『E. KulkeThe Parsees in India, A Minority as Agent of Social Change (1974, Munich)』▽『J. R. HinnellsZoroastrianism and the Parsis (1981, London)』