ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ナスララ」の意味・わかりやすい解説
ナスララ
Nasrallah, Hassan
[没]2024.9.27. ダーヒア
ハッサン・ナスララ。レバノンの民兵指導者,政治指導者。イスラム教シーア派の民兵組織ヒズボラのリーダー(1992~2024)。フルネーム Hassan Abdel Karim Nasrallah。強力な指導のもと,武装集団としてのヒズボラを成長させたほか,政治や社会福祉の分野においても入念にネットワークを構築し組織を成長させた。しかし,2000年にイスラエルがレバノンから撤退したあともイスラエルに対する強硬姿勢を崩さず,2024年9月にイスラエルによる空爆で死亡した。
ベイルート東部の貧困地区カランティナに育った。1975年レバノン内戦が勃発すると家族で南方へ逃れ,シーア派民兵組織アマルに加わった。1982年のイスラエル軍によるレバノン侵攻後にアマルを離脱,草創期のヒズボラに参加。組織内で昇進し,1992年にイスラエルのミサイル攻撃で死亡したアッバス・ムサウィの後任として最高指導者になった。ヒズボラはレバノン南部を占領するイスラエル軍をたびたび攻撃し,ついに 2000年にイスラエル軍を撤退させた。2004年のイスラエルとの捕虜交換はナスララの功績として多くのアラブ人が勝利とみなした。2006年7月,ヒズボラはイスラエル国内で収監されているレバノン人 3人を釈放させるためにレバノン南部から軍事作戦を展開。この作戦により複数のイスラエル兵が殺されるとともに 2人が拉致されたため,イスラエル軍はヒズボラに対して大規模攻撃を仕掛けた。34日間に及ぶ戦闘を経てヒズボラは戦況を膠着状態に持ち込んだ。これは過去にいかなるアラブ系民兵組織もイスラエル軍に対してなしえなかった快挙であり,ナスララは勝利宣言をするとともにアラブ世界で広く尊敬される指導者として台頭した。2023年10月に勃発したイスラエル─ガザ戦争のさなか,イスラエルはヒズボラにも目を向け,レバノン南部とベイルートに激しい空爆を加え始めた。その 1週間後の 2024年9月27日,ナスララを標的にベイルート南方のダーヒアに 80発以上の爆弾が投下され,翌 28日に遺体が発見された。
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