日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニークロ」の意味・わかりやすい解説
ニークロ
にーくろ
Philip Henry Niekro
(1939―2020)
アメリカのプロ野球選手(右投右打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のミルウォーキー・ブレーブス(1966年からアトランタ・ブレーブス)、ニューヨーク・ヤンキース、クリーブランド・インディアンス、トロント・ブルージェイズで投手としてプレー。48歳まで投げ続け、歴代14位(当時)の通算318勝をあげた「魔球」ナックル・ボールの名手である。
4月1日、オハイオ州ブレインで生まれる。1958年、ブレーブスに入団。翌1959年からプロ生活をスタートさせたが、1963年は兵役についた。1964年に大リーグ初昇格。1966年にチームはアトランタへ移転し、この年まではほぼ救援専門だった。1967年から先発でも起用され11勝をマークし、最優秀防御率のタイトルを獲得した。1973年にはノーヒットノーランを達成。同年と翌1974年には弟で同じくナックル・ボールを武器としたジョー・ニークロJoseph Franklin Niekro(1944―2006)がチームメイトとなった。1974年は最多勝、1977年は奪三振王、1979年には2回目の最多勝を獲得。ナックル・ボールは投げるのに力を必要としない球種のため肩への負担が少なく、1967年から1980年まで14年連続で2桁(けた)勝利をあげた。1984年にヤンキースに移籍。翌1985年の途中には弟が移籍してきて、ふたたびチームメイトとなった。1986年のキャンプ中に解雇され、インディアンスと契約、11勝をあげた。1987年は7勝11敗と負けがこみ、シーズン途中でブルージェイズへトレードされたが、8月末に解雇された。古巣のブレーブスに拾われ、現役最終登板として1試合だけマウンドにあがり、9月にふたたび解雇された。引退後は、1994年に誕生して話題をよんだ女子プロ野球チーム「コロラド・シルバーブレッツ」の監督を務めた。
24年間の通算成績は、登板試合864、投球回5404と3分の1、318勝274敗、セーブ29、防御率3.35、奪三振3342、完投245、完封45。獲得したおもなタイトルは、最多勝利2回、最優秀防御率1回、最多奪三振1回、ゴールドグラブ賞5回。1997年に野球殿堂入り。
[山下 健]