ヌーリーアッサイード(英語表記)Nūrī al-Sa`īd

改訂新版 世界大百科事典 「ヌーリーアッサイード」の意味・わかりやすい解説

ヌーリー・アッサイード
Nūrī al-Sa`īd
生没年:1888-1958

イラクの政治家。バグダード出身でスンナ派ムスリムオスマン帝国軍人となるが,1916年アラブ反乱に参加。21年イギリスファイサル1世をイラク国王に据えるとともに,イラクの軍参謀長,ついで国防相となり,30年首相就任翌年の対英条約で〈独立〉の形式を整え,以後頑強な親英派指導者として政権中枢に位置し続け,アラブ統合計画やバグダード条約成立の立役者となったが,58年7月の革命で殺害された。首都の民衆は墓をあばいて遺体市中で引き回した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

20世紀西洋人名事典 「ヌーリーアッサイード」の解説

ヌーリー・アッサイード
Nūrī al Sa‘īd


1888 - 1958.7.14
イラクの政治家,軍人。
元・イラク首相。
バグダード出身。
別名Nuri Said,Nuri Al Said。
オスマン帝国の軍人を経て、1916年アラブ反乱に参加。’21年イラク軍参謀長、ついで国防相を務め、’30年に首相。この間’30年にはイラクの独立を形式的に認めたイギリス・イラク条約に調印、以後親英派指導者として政権の中枢を占め、28年間にわたり14回首相を務めた。また、アラブ統合計画、バクダード条約成立の立役者となるが、’58年の7月革命で処刑された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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