改訂新版 世界大百科事典 「ネパール仏教」の意味・わかりやすい解説
ネパール仏教 (ネパールぶっきょう)
ネパールにおける仏教をいう。ネパールに土着していた民族は,元来チベット系であったとされるが,リッチャビ族などインド系の人々の流入に伴い,彼らが信仰していた仏教がこの地に定着するにいたった。7世紀前半ネパールからチベットに入嫁したティツゥン妃はトゥルナン寺という仏教寺院を建立し,8世紀後半以来仏教がチベットに正式導入されてチベット仏教(ラマ教)が成立,発展するが,その過程でネパール仏教は重要な役割を果たした。この頃(7~9世紀)チベットの勢力下にあったといわれるタクリ王朝では,顕教が栄えるとともに,当時流行し始めていた密教もしだいにその勢力を伸ばしており,インドの仏教事情に相応じていたようである。仏教美術の面でもネパール様式が確立しつつあり,チベット仏教美術の成立に基本的な影響を与えている。12世紀末まで続いた同王朝では,その後密教が栄え,インド中央マガダのパーラ朝との間でも学僧やタントリスト(密教行者)の往来が盛んであった。11世紀以降はチベットとの往来も再び盛んになり,著名なアティーシャはネパールを経て西チベットに入国しており,チベット仏教カーギュ派の祖とされるマルパもネパールでタントラを実修している。13世紀に西チベットで成立したともいわれるマッラ王朝はその地からネパールに勢力を広め,カーギュ派がネパールで盛行する基を築いた。一方,イスラムに圧迫されて流入したヒンドゥー文化も同時に盛行し,仏教と併立するにいたった。18世紀にはシャハ(ゴルカ)王朝が成立し,チベット仏教が行われていた。また近代に至り各国の研究者たちによってサンスクリット仏典,特にタントラ仏典が多数ネパールで収集され,現代の仏教研究にも利用されている。
執筆者:原田 覚
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報