アティーシャ(読み)あてぃーしゃ(英語表記)Atīśa

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アティーシャ」の意味・わかりやすい解説

アティーシャ
あてぃーしゃ
Atīśa
(982―1054)

インドの思想家、宗教家。別名をディーパンカラシュリージュニャーナDīpańkaraśrījñānaともいう。インドのザホル国王の第2子として生まれる。29歳で出家して、仏教、とくに後期密教の奥儀(おうぎ)を究めた。西チベットのガリ国の王の招きを受けて、1042年にチベットに入り、以後13年間の教化により、低迷していたチベット仏教を復興、改革した。彼の時代以後をチベットでは「後期仏教伝播(でんぱ)時代」という。主著菩提道燈論(ぼだいどうとうろん)』に示される彼の基本思想は、弟子ドムトンDromtön Gyalwe Jungney(1005―1064)を開祖とするカーダム派に継承され、さらにチベット仏教最大の思想家ツォンカパの『菩提道次第論(ぼだいどうしだいろん)』に影響を与えた。また彼は、インドの中観(ちゅうがん)思想のなかでとくにチャンドラキールティ月称(げっしょう))の学説を尊重した点でも、ツォンカパの先駆者であった。

[松本史朗 2016年11月18日]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アティーシャ」の意味・わかりやすい解説

アティーシャ
Atīśa

[生]982
[没]1054
11世紀のチベット仏教界に最大の影響をもたらした僧。ベンガル王家の出身とされ,ビクラマシーラ僧院長のとき,西チベット王チャンチュプウーの招きを受け,1042年ガリにいたり,『菩提道燈論』を著わし,いったん帰国の途についたが果さず,ドムトゥンと中央チベットの僧団に招かれて 45年ウーの地にいたった。初めヤルルンにとどまったが満足できず,サムエーに移ってナクツォ翻訳僧と訳経に従い,ゴク・レクペーシェラプに招かれてラサにいたり,さらに,ニェタンやイェルパでドムトゥンを教導した。その教えは,小,大,金剛の三乗を総摂する理念をもち,カーダム派に奉じられ,ツォンカパに引継がれて発展した。

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