ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ノリエガ・モレナ」の意味・わかりやすい解説
ノリエガ・モレナ
Noriega Morena, Manuel Antonio
[没]2017.5.29. パナマ
パナマの軍人。1960年国民警備隊に入隊。ペルーのチョリリョス士官学校で工兵教育,帰国後は運河地帯のアメリカス学校で反乱鎮圧教育を受ける。1969年以降 12年間,オマル・トリホス・エレーラ将軍のもとで軍諜報局 G-2を担当した。1981年トリホス事故死後,1983年パナマ国防軍 PDFの最高司令官となって事実上の最高指導者についた。ノリエガ支配のもとパナマでは 1982~89年に大統領が 4度交代した。1987年元参謀長の R.ディアス大佐が 1984年の大統領選挙の不正や政敵ウゴ・スパダフォラ暗殺を暴露したのをきっかけに国内で反ノリエガ運動に火がついた。アメリカ合衆国は 1987年パナマへの援助を停止し,1988年2月アメリカの司法当局が麻薬密輸,資金洗浄(→マネーロンダリング)関与でノリエガを起訴するに及び,在米パナマ資金を凍結した。1989年5月の大統領選挙でノリエガ派候補は大敗を喫し,ノリエガは選挙結果を無効と宣言したが,同 1989年12月20日アメリカ軍が侵攻,ノリエガは 1990年1月3日に逮捕,アメリカに連行され,1992年7月フロリダ州の連邦地方裁判所で禁固 40年の判決を言い渡された。2007年9月9日の釈放後は,資金洗浄の罪を裁くため身柄をフランスに引き渡された。2011年12月には 22年ぶりにパナマに移送され,刑務所に収監された。
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