バネッサレッドグレーブ(その他表記)Vanessa Redgrave

現代外国人名録2016 「バネッサレッドグレーブ」の解説

バネッサ レッドグレーブ
Vanessa Redgrave

職業・肩書
女優

国籍
英国

生年月日
1937年1月30日

出生地
ロンドン・ブラックヘルス

勲章褒章
レジオン・ド・ヌール勲章シュバリエ章, CBE勲章

受賞
アカデミー賞助演女優賞(第50回)〔1977年〕「ジュリア」,カンヌ国際映画祭女優賞(第19回)〔1966年〕「モーガン」,カンヌ国際映画祭女優賞(第22回)〔1969年〕「裸足のイサドラ」,ゴールデン・グローブ賞助演女優賞(第35回,1977年度)「ジュリア」,エミー賞〔1980年〕「ファニア歌いなさい」,ローレンス・オリビエ賞(女優賞,第9回)〔1984年〕「The Aspern Papers」,ベネチア国際映画祭助演女優賞(第51回)〔1994年〕「リトル・オデッサ」,ゴールデン・グローブ賞助演女優賞(テレビ・ミニシリーズ部門,第58回,2000年度)「If These Walls Could Talk Ⅱ」,トニー賞主演女優賞(第57回)〔2003年〕「Long Day’s Journey into Night」

経歴
父はナイト爵を持つ俳優、母もきょうだいも俳優という演劇一家の出身。8歳の時からロンドンのクイーンズゲイト・スクールバレエを学び、さらにセントラル・スクール・オブ・ミュージック・アンドドラマ演技を学ぶ。1957年舞台デビュー、’60年代はロイヤル・シェイクスピアカンパニー(RSC)に参加。「お気に召すまま」のロザリンド役などで高い評価を受ける。私生活では’62年社会派監督トニー・リチャードソンと結婚したが、’67年離婚。’65年実質上の映画デビュー作となった「モーガン」でカンヌ国際映画祭最優秀女優賞を受賞翌年の「わが命つきるとも」でも好演し、スター地位を固めた。他の映画出演作に「キャメロット」(’67年)、「裸足のイサドラ」(’68年)、「ジュリア」(’77年)、「アガサ」(’79年)、「ボストニアン」(’83年)、「悲しき酒場のバラード」(’90年)、「ハワーズ・エンド」(’92年)、「リトル・オデッサ」(’94年)、「湖畔のひと月」(’96年)、「ダロウェイ夫人」(’97年)、「ディープインパクト」(’98年)、「クライム・アンド・パニッシュメント」(2002年)、「デブラ・ウィンガーを探して」(2002年)、「ヴィーナス」(2006年)、「つぐない」「いつか眠りにつく前に」(2007年)、「ジュリエットからの手紙」(2010年)、「もうひとりのシェイクスピア」(2011年)など。1991年24年ぶりに舞台「彼女が踊った時」に出演し話題となる。フェミニスト、反体制闘士としても有名で、’74年労働党から出馬したが落選。フランコ・ネロとの間に未婚の母として1児を生んだ。自伝「ヴァネッサ・レッドグレーヴ自伝」がある。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「バネッサレッドグレーブ」の解説

バネッサ レッドグレーブ
Vanessa Redgrave


1937.1.30 -
英国の女優。
ブラックヘルス(ロンドン)生まれ。
8歳からクィーンズゲイト・スクールで学んだ。1957年舞台デビュー、翌年には映画に初出演。’66年「Morgan」でカンヌ映画祭最優秀女優賞受賞。その後も「裸足のイサドラ」(’68年)でカンヌ映画祭最優秀女優賞、「ジュリア」(’77年)ではアカデミー助演女優賞を受賞した。’74年には労働党から出馬するが落選。’80年TVM「ファニア歌いなさい」でエミー賞を受賞している。ウーマン・リブ、反体制闘士としても活躍。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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