改訂新版 世界大百科事典 「バフティヤーリー族」の意味・わかりやすい解説
バフティヤーリー族 (バフティヤーリーぞく)
Bakhtiyārī
イランの遊牧部族。人口は約40万人(1970年代の推定)。部族として独立したのは16世紀のサファビー朝期になってからで,それ以前はロル族の一部をなしていた。言語はクルド語に近く,古代ペルシア語時代の古いイラン系言語の痕跡を今に残している。遊牧地は,イスファハーン西方のザーグロス山中に夏営地があり,秋になると山を南西に下りてフージスターンに冬営地を設ける。19世紀以前はハフト・ラング,チャハール・ラングの二つの集団に分かれて相互に対立していたが,1867年,ホセイン・コリー・ハーンによって統一された。族長層は周辺の農耕地の徴税権,行政支配権を獲得して政治的・経済的に力をつけ,また99年に完成した,イギリスの建設による〈バフティヤーリー貿易路〉からの通行料収入によって,経済的に最も有力な部族勢力になった。イラン立憲革命に際しては反政府側にまわり,1909年にはイスファハーン,テヘランを武力制圧して,その後のイラン政界を牛耳った。しかし,36年,遊牧民の定住化政策をすすめるレザー・シャーによって征討され,政治勢力としての力を失った。
執筆者:坂本 勉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報