イスファハーン(読み)いすふぁはーん(英語表記)Eşfahān

日本大百科全書(ニッポニカ) 「イスファハーン」の意味・わかりやすい解説

イスファハーン
いすふぁはーん
Eşfahān

イラン中部、イスファハーン州の州都エスファハーンともいう。イラン第三の都市で、テヘランの南方420キロメートル、標高1590メートルの高原に位置する。人口126万6072(1996)、196万1260(2016センサス)。年降水量は109ミリメートル。ザーグロス山脈に源を発するこの国最大の内陸河川ザーヤンデ・ルード川が町を貫流する。古くから伝統工芸の中心地で、更紗(さらさ)、銅細工、彫金細工象眼(ぞうがん)細工、カーペット織などは有名。19世紀にマンチェスター産綿布が流入するまでは、イランでもっとも重要な綿織物の産地であった。サファビー朝シャー・アッバースによってジョルファから移されたアルメニア人の居住区(ジョルファ)が町の南部にある。ユダヤ人も多い。町の周辺はイラン高原でもっとも豊かな土地で、ザーヤンデ・ルード川の水を利用し野菜や米などが集約的に栽培されている。19世紀にはアヘンの最大の産地でもあった。イランの古都であるため史跡、名所が多く、シャー・アッバースが設けた王の広場を取り巻くマスジッド・イ・シャー(王のモスク)やアリカプー宮殿、ザーヤンデ・ルード川にアッバース2世(大王)によって架けられたハージュー橋などはとくに有名である。テヘランへは鉄道が通じており、国際空港もある。

[岡﨑正孝]

歴史

アケメネス朝ペルシア時代から存在し、ササン朝ペルシア時代には主要都市の一つであった。大河ザーヤンデ・ルードの水に恵まれ、オアシス農業の中心地として発展した。7世紀中ごろアラブの大征服によってイスラム圏に入り、正統カリフ時代ウマイヤ朝、アッバース朝時代には、それらの総督によって統治された。一時、サッファール朝、サーマーン朝の支配下に入ったこともある。本格的に都市が発展したのはブワイフ朝(932~1062)時代のことで、同朝のジバール地方(中央イラン)における中心地となり、城塞(じょうさい)、市壁、モスクが造営され、バザールも整備された。セルジューク朝時代には一時首都となり、大モスクがつくられ、商業、文化の中心地となったが、スルタンホラサーンへ移ったのちには、治安も悪化し、荒廃した。イル・ハン朝期には、総督による間接統治下に入り、ある程度繁栄を取り戻したが、ティームール朝、黒羊朝、白羊朝時代にはふたたび衰退した。サファビー朝(1501~1736)時代には再度商業、文化、宗教の中心地となり、とくに16世紀末にシャー・アッバースによって首都に定められて、マスジット・イ・シャーなど中東屈指の建築物がつくられ、「イスファハーンは世界の半分」とうたわれる繁栄を現出した。17世紀中ごろには、162のモスク、1802のキャラバン・サライ(隊商宿)があったという。しかし18世紀前半にアフシャール人のナーディル・シャーがマシュハドに遷都して以来、人口が流出し、飢饉(ききん)の影響もあって衰退の一途をたどった。19世紀末ごろから人口が増加に転じ、現在の大都市へと回復した。近年は工業化が著しい。

[清水宏祐]

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