改訂新版 世界大百科事典 「バルマク家」の意味・わかりやすい解説
バルマク家 (バルマクけ)
アッバース朝初期のカリフたちに仕えて権勢をふるったイラン系の宰相家一門。バルマクBarmak家はもとはバルフ近郊のナウバハール仏教寺院の管主を代々務める家柄であったが,ウマイヤ朝末期にイスラムに改宗,ハーリドKhālidがウマイヤ朝打倒のアッバース家運動に加わって功績をあげ,革命が成功すると,初代カリフ,サッファーフから軍務と税務の官庁の長官として,アッバース朝の重要な行政をゆだねられた。2代カリフ,マンスールの治下でハーリドは,ファールスやタバレスターンなどの税務長官を歴任したが,その間息子のヤフヤーYaḥyāが父について行政能力を身につけるとともに,3代カリフ,マフディーのとき,王子ハールーン・アッラシードの後見人となった。その縁で786年,ハールーン・アッラシードがカリフに即位するや,ヤフヤーは宰相(ワジール)の肩書のもとに,カリフから行政全般をゆだねられ,以後17年間,息子のファドルal-FaḍlとジャーファルJa`farとともに,バルマク家支配時代を現出した。しかし803年,一家の権勢があまりにも強大化したことをうとましく思ったカリフは,ジャーファルを処刑,ヤフヤーとファドル父子を獄死させ,一家は断絶した。
執筆者:森本 公誠
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報