改訂新版 世界大百科事典 「バーチ」の意味・わかりやすい解説
バーチ
James Woodford Wheeler Birch
生没年:?-1875
19世紀後半のイギリス領マラヤの行政官。はじめイギリス海軍に勤務し,1846年にセイロンの道路監督部に移り,以後69年までセイロンのイギリス植民地官僚として勤めた。70年海峡植民地の官房長官となり,74年にパンコール協約に基づいてペラクの初代理事官に任命された。そこで彼は協約通りにペラクの徴税権と司法権を取り上げ,イギリス的な司法・行政制度を押しつけようとした。こうした強硬策はペラクのスルタンをはじめ各首長の反発を招いた。彼はさらに75年5月に海峡植民地知事となったジャービスWilliam Francis Jervois(1821-97)の指示を受けてペラクにイギリス人官吏による参事会議を設置しようとし,スルタンにこのことをイギリスに〈要請〉させた。この〈要請〉を受け入れる旨の知事の布告をバーチがペラク各地に配布していた際の75年11月2日,スルタンら有力者の命を受けた刺客に彼は暗殺された。イギリス植民地当局はこれに対し,軍事行動に出て関係者を厳重に処罰し,ペラクにおけるイギリスの支配を確立した。
執筆者:生田 滋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報