パクストン
ぱくすとん
Sir Joseph Paxton
(1803―1865)
イギリスの建築家。ロンドンのハイド・パークで開催された第1回万国博覧会(1851)のガラス・パビリオン「クリスタル・パレス(水晶宮)」の設計者として知られる。ベッドフォードシャーの農家に生まれ、1826年デボンシャー公爵の園丁頭となった。建築家としての経験を積んだわけではなかったが、植物研究の立場から温室の改造に取り組み、ガラス、鉄、木による構造を考案、1840年代にはチャッツワースの大温室などを手がけた。こうした実績を買われ、万国博覧会場の建設を任されるや、モデュールによる統一規格を導入するなど斬新(ざんしん)な策を講じて、わずか9か月でこれを完成させた。後年、下院議員として鉄道建設、道路計画など、都市整備に幅広い業績を残したが、いっぷう変わったところでは初期のパッケージ・ツアーの推進者としても名前を残している。ロンドンに没。
[宝木範義]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
パクストン
Joseph Paxton
生没年:1803-65
イギリスの造園家,建築家,エンジニア,事業家。ベドフォードシャー生れ。デボンシャー公爵邸,チャッツワースChatsworthの庭園の主任造園家となる。鉄製フレームにガラスを取り付ける独創的な工法を開発して,この庭園に大温室(1840)を建て,さらにリリー・ハウス(1849)では鋳鉄製構造材のプレハブ化を実現。クリスタル・パレス(1851)はこれらの技術の集大成となった。都市公園やカントリー・ハウスの設計以外にも,下院議員,鉄道経営,新聞や造園雑誌の出版など多彩な活動で知られる。
執筆者:星 和彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のパクストンの言及
【クリスタル・パレス】より
…〈水晶宮〉とも呼ばれる。造園技師[J.パクストン]の設計。樹木の多い敷地に早く安く大きな会場を建設するため計画された,標準寸法の鋳鉄とガラスによるプレハブ建築である。…
【デザイン】より
…よく知られている例を二つあげておこう。建築においては,ロンドンの第1回万国博覧会の会場クリスタル・パレスがJ.パクストンによって,工場生産された部品を組み立てる方式で建設される(1851)。それは生産工程の変化を背景とするものではあるが,これまでの重々しい建築とはまったく異なる軽やかな印象を与え,やがて生産主義,機能主義に立つ美学の源流となった。…
【鉄骨造建築】より
…最初は劇場,倉庫,工場などの屋根架構材や柱などに鋳鉄や錬鉄が用いられた。1851年J.パクストンが設計したロンドンの[クリスタル・パレス]は,鋳鉄骨組みとガラスによる新しい形態で当時の人々を驚かせた。19世紀の半ばごろ,転炉法,平炉法の発明があり,鋼鉄が製造されるようになったため,以後建築構造に用いられる鉄は軟鋼が主体となった。…
【噴水】より
…こうした構成はたちまちアルプスの北方に摂取されて,ベルサイユ宮殿の庭園のような豪華な噴水を生み出している。またJ.パクストンが手がけた300フィート吹き上がるイギリスのチャッツワースChatsworthの庭園の〈皇帝噴水〉(19世紀初め)のように,ただ吹上げの高さのみを競うジェット式のものも好んで造られた。 日本においては,文献に現れるものとしては,仙洞御所に造られたらしい竜の口の噴水(1644)が注目される。…
※「パクストン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」