クリスタル・パレス
Crystal Palace
1851年ロンドンのハイド・パークを会場に開催された第1回万国博覧会の展示館として建設された建物。〈水晶宮〉とも呼ばれる。造園技師J.パクストンの設計。樹木の多い敷地に早く安く大きな会場を建設するため計画された,標準寸法の鋳鉄とガラスによるプレハブ建築である。規模は長さ1847フィート(約560m),幅408フィート(約120m),高さ103フィート(約30m)。パクストンはこの形式を温室から得た。博覧会終了後,54年ロンドン南部のシドナムに移建されたが,1936年焼失。以後の博覧会建築のスタイルに多大の影響を与え,1853年にはカーステンセン・アンド・ギルデマイスター設計によって,ニューヨーク博覧会会場がクリスタル・パレスの名で造られた。ロンドンのものは材料(鉄とガラス),工法の面で近代建築の先駆とされると同時に,建築家ではなく技師の手によって新しい形式の建築が追究されたことによっても注目される。
執筆者:鈴木 博之
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「クリスタルパレス」の意味・わかりやすい解説
クリスタル・パレス
1851年第1回万国博覧会のためロンドンのハイド・パークに建てられた,鉄とガラスのみによる建物。〈水晶宮〉とも呼ばれる。パクストンJoseph Paxton〔1803-1865〕設計。斬新な建材,組立工法によることなど,建築史上画期的で,近代建築の嚆矢(こうし)となった。英国産業革命の象徴といえる。1854年シドナムに移され,1936年焼失。
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世界大百科事典(旧版)内のクリスタルパレスの言及
【イギリス美術】より
…
[近代]
こうした歴史主義的傾向の一方,19世紀のビクトリア朝期には,駅,工場,橋など時代の要求にこたえた,新素材(鉄やガラス)による新しいタイプの世俗建築が誕生する。1851年の世界最初の万国博の会場としてつくられたJ.パクストンのクリスタル・パレス(水晶宮)はその代表例で,これはまた,今日のいわゆるプレハブ建築の先駆としても注目される。住宅建築ではW.モリスの友人P.ウェッグ,A.H.マクマード,R.N.ショー,C.F.A.ボイジー,E.ラティエンスが特に田舎家(カントリー・ハウス)あるいは別荘に新しい傾向を見せている([アーツ・アンド・クラフツ・ムーブメント])。…
【デザイン】より
…よく知られている例を二つあげておこう。建築においては,ロンドンの第1回万国博覧会の会場クリスタル・パレスがJ.パクストンによって,工場生産された部品を組み立てる方式で建設される(1851)。それは生産工程の変化を背景とするものではあるが,これまでの重々しい建築とはまったく異なる軽やかな印象を与え,やがて生産主義,機能主義に立つ美学の源流となった。…
【鉄骨造建築】より
…最初は劇場,倉庫,工場などの屋根架構材や柱などに鋳鉄や錬鉄が用いられた。1851年J.パクストンが設計したロンドンの[クリスタル・パレス]は,鋳鉄骨組みとガラスによる新しい形態で当時の人々を驚かせた。19世紀の半ばごろ,転炉法,平炉法の発明があり,鋼鉄が製造されるようになったため,以後建築構造に用いられる鉄は軟鋼が主体となった。…
【パクストン】より
…鉄製フレームにガラスを取り付ける独創的な工法を開発して,この庭園に大温室(1840)を建て,さらにリリー・ハウス(1849)では鋳鉄製構造材のプレハブ化を実現。[クリスタル・パレス](1851)はこれらの技術の集大成となった。都市公園やカントリー・ハウスの設計以外にも,下院議員,鉄道経営,新聞や造園雑誌の出版など多彩な活動で知られる。…
【プレハブ建築】より
…
[プレハブ建築の歴史]
工業化技術の進歩により,19世紀以降,建築に鉄やガラス,コンクリートなどが大量に使われるようになった。プレハブ建築の歴史もこれ以後といえるが,とくに1851年ロンドンの万国博につくられた[クリスタル・パレス]は,鉄とガラス部材を規格化することで6ヵ月の工期で組み上げることに成功し,規格化された部材による構法の有用性を示した。その後のエッフェル塔をはじめとする鉄骨造建築も,その多くは同様の構法でつくられたものである。…
※「クリスタルパレス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」