パンディット(読み)ぱんでぃっと(その他表記)Vijayalakhmī Pait

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パンディット」の意味・わかりやすい解説

パンディット
ぱんでぃっと
Vijayalakhmī Pait
(1900―1990)

インドの政治家、外交官。インド初代首相ネルーの妹。1919年以来、ガンディー指導の反英運動に参加。1921年に弁護士R・S・パンディットと結婚。1937年、インド統治法下に成立した連合州の会議派州政府閣僚を皮切りに、しだいに会議派内の重要な地位を占める。1940~1942年、全インド婦人会議議長。1946年の国連のインド首席代表をはじめ、独立後は外交畑で活躍。1947~1949年ソ連大使、1949~1952年アメリカ大使、1954年に国連総会議長就任。1952~1954年、1964~1968年と国内で下院議員に当選。1954年(昭和29)初来日。1967年には広島での被爆記念式典に参加。自伝『幸福の領域――私的な回想』(1979)がある。

[内藤雅雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パンディット」の意味・わかりやすい解説

パンディット
Pandit, Vijaya Lakshmi

[生]1900.8.18. アラハバード
[没]1990.12.2. ウッタルプラデーシュ,デラドゥーン
インドの女性政治家,外交官。 J.ネルーの妹。若くして独立運動に参加,数回投獄された。 1935年アラハバードの教育委員会委員長となり,37年アグラ・アワド連合州の地方自治兼保健相に就任,インドで最初の女性州政府閣僚となった。 46~48年国連への首席代表,47~49年ソ連駐在大使,49~51年アメリカ,メキシコ駐在大使,53年女性初の国連総会議長,54~61年イギリス駐在高等弁務官兼アイルランド駐在大使を歴任。 62~64年マハーラーシュトラ州知事。 64年故ネルー首相の空席を埋める補欠選挙で会議派から中央政界入りしたが,68年下院議員を辞任し引退した。

パンディット
pandit

ベーダ聖典を暗誦し,サンスクリット語を話すインドの伝統的古典学者,識者に対する尊称

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のパンディットの言及

【ヒマラヤ[山脈]】より

…1765年創設のインド測量局もその間の所産で,19世紀に入るとヒマラヤを含むインド亜大陸全体の地図作成を目ざす〈大三角測量〉事業が始まった。ヒマラヤの基礎的知識は,こうしてイギリスの測量官や,辺境各地にひそかに派遣されたパンディット(本来はヒンドゥーの学者を指す)と呼ばれるインドの現地人測量者,密偵を通じてしだいに獲得されていった。1852年に世界の最高峰と確認されたエベレストの名が,1830‐43年に測量局長官を務めたG.エベレストにちなむ名であることはよく知られている。…

※「パンディット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android