ピトレ(その他表記)Giuseppe Pitrè

改訂新版 世界大百科事典 「ピトレ」の意味・わかりやすい解説

ピトレ
Giuseppe Pitrè
生没年:1841-1916

イタリアの民俗学者。シチリア島パレルモ船員の息子として生まれた。幼いころに育てられた乳母アガトゥッツァ・メッシーアAgatuzza Messiaが巧みな民話語り手であったため,後年,彼女の口から多量の採話を行った。青年時代には,1860年に,ガリバルディ遠征隊に加わって,ナポリまで赴いた。医学を志したが,学生時代から《現代人物評伝》(1864)を著したり,民族学者デ・グベルナーティスAngelo De Gubernatisの研究誌《イタリア文明》に寄稿したり,歴史学,文献学,文学など,さまざまな分野に関心を抱いた。医者になってからは,診療を通じてシチリア民衆の日常生活に接し,民間信仰,民話,民衆歌謡,民間医療等々の資料をあまねく収集し,民俗学の研究に専念するに至った。《シチリア民間伝承叢書》25巻(1871-1913)はその成果である。1880年には,同じく医者であり民俗学者であったサロモーネ・マリーノSalvatore Salomone Marino(1847-1916)と《民間伝承研究》誌を創刊し,1909年までこの雑誌を舞台にイタリア民俗学研究の基礎を築き,11年からはパレルモ大学に民俗学の講座を開いて初代教授となった。ピトレの研究態度は,ひたすら資料収集に偏ったうらみがあるが,後期ロマン派の文芸思潮のなかで,それまで見失われていた南イタリア民衆の姿を,初めて歴史の表面に浮かび上がらせた意義は大きい。その点では,G.ベルガの文学の世界と通じ合うものをもっている。また,ピトレの学風はコッキアーラGiuseppe Cocchiara(1904-65)に受け継がれ,現在ではパレルモ市郊外に,民俗博物館がピトレを記念して建てられている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のピトレの言及

【イタリア文学】より

…しかもベルガにいたって初めて,イタリア文学は最下層の民衆を文学の世界に写しだしたのである。これにほぼ前後して,同じくシチリア島パレルモに住む医師G.ピトレが民話を採集し,民俗学を興して,最も貧しい文盲の人びとの心の奥に科学の光を当て,《シチリア民間伝承文庫》25巻(1871‐1913)を著した。しかしながら,このように社会の暗部を明るみに出して,デル・ベーロ(真実)を描きだそうとめざした〈ベリズモ(真実主義)〉も,ベルガ以後は文学的深化を遂げずに,単なる地方主義文学へと解消してしまった。…

【シチリア[島]】より

… シチリアにはギリシア,アラブ,ノルマンなどの諸民族にゆかりの遺跡,建築物,美術品が多く残っており,自然の景観も変化に富んでいる。島民の日常生活と結びついた豊かな民俗文化については,《シチリア民間伝承叢書》25巻(1870‐1913)を著したG.ピトレをはじめ,彼と同時代のサロモーネ・マリーノSalvatore Salomone Marino(1847‐1916),さらにコッキアーラGiuseppe Cocchiara(1904‐65)らすぐれた民俗学者の手によって収集・研究され,パレルモのピトレ民俗博物館にその成果が収められている。シチリア王国【北原 敦】
[文学]
 18世紀までのイタリア文学は韻文作品が主流を占め,ダンテ,ペトラルカ以来,ロマン主義の小説家マンゾーニに至るまで,トスカナ地方の文章語を母体とする詩的伝統が重んじられてきた。…

※「ピトレ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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