ファンティ国家連合(読み)ファンティこっかれんごう(その他表記)Fante Confederation

改訂新版 世界大百科事典 「ファンティ国家連合」の意味・わかりやすい解説

ファンティ国家連合 (ファンティこっかれんごう)
Fante Confederation

19世紀後半,西アフリカのゴールド・コースト(現,ガーナ)沿岸部に形成されたアカン系ファンティ族Fanteの国家連合。当時この地域はイギリスの勢力圏下に置かれ,またファンティ族諸国は内陸部にあった同じアカン系アシャンティ族のアシャンティ王国対立していた。1868年1月,ファンティ族諸首長ならびに教育あるアフリカ人の間で,イギリス,オランダ,アシャンティに対抗して結成されたのがファンティ国家連合である。連合は,シエラレオネ人の医者で学者であるホートンJames Africanus Beale Horton(1835-82)の助言をうけて憲法を制定した。憲法によって部族首長と各国選出代表等で構成されるファンティ評議会,行政評議会,議会,裁判所などが定められ,正・副大統領などの役職者も任命され,1万5000人の軍隊が組織された。この国家連合は,ファンティ族がアシャンティ王国とイギリス商人との間の交易を仲介する中間商人としての地位を確保しようとする性格をもっていたが,イギリスの植民地統治に対する抵抗でもあった。しかし,イギリス・オランダ間の城塞交換,連合を形成する諸国家首長間の対立,イギリスの現地駐在代理総督による連合執行部メンバーの反逆罪のかどでの逮捕によって,アフリカ人の民主政治自治への試みである国家連合は73年に崩壊した。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ファンティ国家連合」の解説

ファンティ国家連合(ファンティこっかれんごう)
Fante Confederation

1868年から73年までの5年間,西アフリカ,現ガーナの海岸地域に形成されたアカン系ファンティ人の国家連合。同地域は早くからヨーロッパ諸国と接していたが,ファンティ人は,ガーナ北部を支配していたアシャンティ人およびヨーロッパ諸国に対抗する形で自治組織をつくり,独自の統治体制をしいた。ヨーロッパ諸国による懐柔,諸国間の対立などで崩壊。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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