アシャンティ王国(読み)あしゃんてぃおうこく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アシャンティ王国」の意味・わかりやすい解説

アシャンティ王国
あしゃんてぃおうこく

現在のガーナの南西部に、18~19世紀にかけて繁栄した王国。18世紀初頭から、海岸部のイギリス、オランダの商人に奴隷を供給し、その代償として武器、火薬を受け取り、近隣諸地域を征服した。オポク・ワレ王(在位1720~1750ころ)のときにその領域はもっとも拡大し、その後中央集権的国家を確立した。アシャンティ王の象徴である金の床几(しょうぎ)(黄金の椅子(いす))がアシャンティ王国統一のため重要な役割を果たした。1807年オセイ・ボンスー王は南部のファンティ人地域を攻撃し、この地域に城塞(じょうさい)(フォート)をもっていたイギリス人と対立した。1824年アシャンティ軍はイギリス軍を破り、1831年に両国は和解した。さらに1863年海岸地帯への進出を図り、ふたたびイギリスと衝突した。イギリス軍はアシャンティが主権を主張するエルミナを1869年に占領し、1874年には本拠地クマシを攻撃して勝利を得た。その結果、コフィ・カリカリ王は退位させられ、メンサー・ボンスーが王位に就任したが、イギリス植民地政府や北部の離反的な首長によって王の権限は抑制された。1902年、当時の王プレンペ1世シエラレオネに追放され、アシャンティはイギリス植民地とされた。1924年にプレンペ1世は帰国を許され、のちにふたたびアシャンティの首長となった。

[中村弘光]

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