日本大百科全書(ニッポニカ) 「フェブロニウス主義」の意味・わかりやすい解説
フェブロニウス主義
ふぇぶろにうすしゅぎ
Febronianism
18世紀後半のドイツを中心とするカトリック教会内部の運動。その名称は、トリールの補佐司教ホントハイムJohann Nikolaus von Hontheim(1700―70)が『教会論』De statu ecclesiae et legitima potestate Romani pontificis(1763)を発表したときに用いた筆名、ユスティヌス・フェブロニウスJustinus Febroniusに由来する。
この書物は、ドイツの新旧両教派の合同による国民教会の実現を目的として掲げ、ローマ教皇は教会に対して君主制的支配権をもつべきではなく、司教のなかでの「同等者中の首位者」として教会の秩序と統一の維持者にすぎないこと、公会議が教皇に上位することを説き、中世末期フランスのガリカニスムと共通する説を展開していた。ローマ教皇庁は1764年この書を禁書目録に載せたが、18世紀の知的、政治的状況のなかで、その説はドイツの司教、皇帝を中心にして強い支持を受けた。1786年のエムス会議(ドイツ、オーストリアの大司教代表による会議)はその説に対する支持を表明して、教皇権の制限を求め、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世やポルトガル、イタリアの諸君主もその影響のもとに教会の改革に着手した。しかし、フランス革命後ナポレオン1世によってドイツの司教領が廃止され、司教が諸侯としての地位を失った結果、運動は衰えたが、フェブロニウス主義の影響は19世紀中ごろにまで及んだ。
[中村賢二郎]