日本大百科全書(ニッポニカ) 「フリゼール」の意味・わかりやすい解説
フリゼール
ふりぜーる
Bill Frisell
(1951― )
アメリカのジャズ・ギター奏者。メリーランド州ボルティモアに生まれ、生後ただちにコロラド州デンバーに一家で移住。9歳でクラリネットの練習を始めマーチング・バンドに参加し、10代はクラリネットに熱中する。また子供のころからベンチャーズやビーチ・ボーイズといったポピュラー・ミュージックを聞いて育ち、それが彼の音楽的ルーツを形成している。1964年ニューヨークに旅行し、エド・サリバン・ショーに出演したビートルズを見る。この年デンバーでギターを習いはじめ、翌1965年に初めてエレクトリック・ギターを購入。やがて、ブルースに関心をもち、オーティス・ラッシュOtis Rush(1934/1935―2018)、B・B・キングなどを聞く。高校生になると、ジェームズ・ブラウンの曲を演奏するようになる。1969年正式にギターを習いはじめ、ギター教師からジャズについての知識を得る。この年ノース・コロラド大学に入学し、大学のビッグ・バンドでは、ギター、クラリネット、テナー・サックスを演奏する。
1971年ギターに専念することを決意、ボストンのバークリー音楽院に1学期通う。同年デンバーを訪れたギター奏者ジム・ホールに会い、翌1972年ニューヨークで2か月間ホールにギターを習うが、再びデンバーに戻り演奏活動を行う。1975年から1977年までバークリー音楽院に学ぶ。1978年ベルギーに赴(おもむ)きここでサイドマンとして初レコーディングを経験。同年、ベース奏者エバーハルト・ウェーバーEberhard Weber(1940― )のサイドマンとしてECMレーベルに録音を行い、レーベル・プロデューサー、マンフレート・アイヒャーManfred Eicher(1943― )の目にとまる。
1982年ECMレーベルに初リーダー作『イン・ライン』を吹き込み、先鋭的なギター・ファンに注目される。この年アルト・サックス奏者ジョン・ゾーンと知り合う。1985年ベース奏者マーク・ジョンソンMarc Johnson(1953― )のバンド、ベース・ディザイアーズに参加。1986年ホールとデュエットのコンサートを開き、同年ドラム奏者ジョーイ・バロンJoey Baron(1955― )らをサイドマンとする自分のバンドを結成、このバンドでアルバム『ルックアウト・フォー・ホープ』(1987)を吹き込む。1987年ECMレーベルを離れノンサッチ・レコードにアルバム『ビフォア・ウィ・ワー・ボーン』を録音。また、ニューヨークのライブ・スポット「ニッティング・ファクトリー」でギター奏者フレッド・フリスFred Frith(1949― )らとゾーンの曲を演奏する。
1994年、バスター・キートンのサイレント映画をテーマに、2枚のアルバムを発表。そのほかの代表作に『イズ・ザット・ユー』(1989)、『ホエア・イン・ザ・ワールド?』(1990)がある。
彼のギター奏法はホールの影響を受けているとはいえ、リズミックでソウルフルなジャズ・ギターのイメージからはほど遠い、クールな肌触りをもっている。それはピックが弦を弾く際のアタックを消し、音の立ち上がりをマイルドに聴かせる奏法や、ロック、カントリー・ミュージックに親しんだ彼の音楽体験からきている。しかし彼の演奏者としての資質、オリジナリティはずば抜けたものがあり、白人ミュージシャンによるジャズ表現の幅を大きく広げた。
[後藤雅洋]