日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブラゴエフグラト」の意味・わかりやすい解説
ブラゴエフグラト
ぶらごえふぐらと
Blagoevgrad
ブルガリアの南西部、ブラゴエフグラト県の県都。首都ソフィアの南100キロメートル、ストルマ川沿いの盆地に位置する。人口7万8175(2001)。ソフィアとギリシア第二の都市テッサロニキを結ぶ幹線道路に位置する交通の拠点。地元特産の葉タバコ加工、木工、繊維産業などが盛ん。市内にはアメリカ系の大学が設置されている。1950年までの市名はゴールナ・ジュマヤGorna Dzhumaja。オスマン帝国支配下の16世紀初頭に市場町として成立し、モスクやイスラム修道場(テッケ)が建てられて信者を集めた。17世紀にはキリスト教のリラ修道院(ソフィアの南約120キロメートルのリラ山中にあり、世界文化遺産に登録されている)の修道士が別院を開設し、しだいにスラブ系ブルガリア人も居住し始め、手工業と商業の中心地として発展した。1878年にブルガリアが独立しても、この地を含むマケドニア地方はオスマン帝国領に戻されたため、1912~13年のバルカン戦争で係争地となり、ブルガリア、セルビア、ギリシアの3国で分割された。ブラゴエフグラトは、そのブルガリア領の政治的中心地で多くの難民を抱えたため、その後に続くマケドニアをめぐる民族問題の拠点ともなった。
[寺島憲治]