日本大百科全書(ニッポニカ) 「プーク」の意味・わかりやすい解説
プーク
ぷーく
正式名称は人形劇団プーク。1929年(昭和4)東京で川尻東次(かわじりとうじ)(1908―32)を中心に創立。同年『リップ・ヴァン・ウィンクル』(糸操り)ほかで第1回公演。当初劇団名は人形クラブLA PUPA KLUBOで、第二次世界大戦後その略称PUK(プーク)を劇団名とした。32年東次死亡後、弟の泰司(たいじ)(1914―94)が後を継ぐ。40年弾圧により解散させられたが、戦後ただちに再建された。『ファウスト博士』(手遣い)で現代人形劇の社会的評価を確立。『オッペルと象』ほかの全国公演で人形劇の普及に貢献した。58年(昭和33)にウニマ(国際人形劇連盟)に加盟。71年東京・南新宿にプーク人形劇場を建設したのを契機に、劇団部・劇場部・映像部(スタジオ・ノーバ)の3部門による統一体に組織を改めた。94年(平成6)劇団代表者川尻泰司死去後も代表者制をとっていたが、2001年より幹事会が執行の責任をもつ代表幹事制に変更した。『逃げ出したジュピター』(棒遣い)で芸術祭奨励賞(1962)、『牡丹燈籠(ぼたんどうろう)』(黒の劇場)で芸術祭大賞(1981)を受賞した。また「日本の人形劇界の指導的役割を果たしてきた」として、第2回モービル児童文化賞(1968)を受賞した。
[川尻泰司・大野幸則]
『人形劇団プーク編『人形劇脚本集 第1集』(1956・未来社)』▽『川尻泰司著『わたしたちの人形劇』(1963・国土社)』▽『川尻泰司著『人形劇ノート その歴史的考察』(1968・紀伊國屋書店)』▽『川尻泰司著「現代人形劇の運動的体験の中から」(『伝統と現代 第12巻 伝統と創造』所収・1971・学芸書林)』▽『川尻泰司著「われらの時代と人形劇」(『伝統と現代 第5巻 人形芝居』所収・1976・学芸書林)』▽『川尻泰司著「人形劇」(『演劇論講座 補巻 演劇各論・用語辞典』所収・1977・汐文社)』▽『川尻泰司著『人形劇牡丹燈籠 川尻泰司人形劇戯曲集』(1981・三一書房)』▽『川尻泰司著『絵で語る人形劇セミナーシリーズ』全4巻(1982・玉川大学出版部)』▽『川尻泰司編著『現代人形劇創造の半世紀――人形劇団プーク55年の歩み』(1984・未来社)』▽『親子で人形げきを見る会編・刊『人形劇団プーク公演記録集――彦一とんち話・スカーフのファンタジー』(1984)』▽『川尻泰司著『日本人形劇発達史・考』(1986・晩成書房)』▽『『グラフプーク60ねん 1929~1989』(1989・人形劇団プーク)』▽『川尻泰司著「新しい再演」(『宮沢賢治研究資料集成』第18巻所収・1992・日本図書センター)』▽『曾根喜一著『戦後人形劇風雲録――私説・人形劇運動の50年』(1998・晩成書房)』▽『曾根喜一著『戦後人形劇を考える――人形劇制作者の視点』(2001・光陽出版社)』