改訂新版 世界大百科事典 「プーランドラバール」の意味・わかりやすい解説
プーラン・ド・ラ・バール
François Poullain de la Barre
生没年:1647-1725
フェミニズム(女性解放)の理論家。パリで神学を学ぶうちにデカルト哲学を知り傾倒,カトリック教義をすてジュネーブに移って語学教師となる。《両性の平等に関する身体および精神論》(1673),《男性優位論》(1675),《婦人教育論》(1679)を匿名で出版し,デカルトの方法的懐疑を社会学,特にフェミニズムに適用し,男性の知的・身体的優越という偏見を打ち破る論を,男性としてはじめて徹底的に展開した。第2作では帰謬法(間接証明)を用い,女性の身体的・市民的隷属は偶然と暴力と習慣の結果にすぎないとし,さらに権力と民衆の社会契約の必要性の思想にまで至っている。独創性にみちた理論上のフェミニズムの先駆者である彼の著書は,発表当時正当な評価を受けなかった。その後J.S.ミルやモンテスキューに影響を与えたとされているが,完全に理解されたのは20世紀のシモーヌ・ド・ボーボアールによってである。
執筆者:加藤 節子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報