改訂新版 世界大百科事典 「女性解放」の意味・わかりやすい解説
女性解放 (じょせいかいほう)
政治,経済,社会,文化,家族のあらゆる領域での男性への従属から,女性が解放されること。女性が男性に従属してきた原因は,男女の生物学的性の差に根ざしている。もっとも,性的差異が必然的に女性の従属をもたらすのではなく,つぎに述べるような社会的条件のもとでそうなるのである。そして女性の従属の原因が性的差異に根ざしているということが,性差別が階級差別,人種差別,障害者差別など他の差別と区別される点であり,女性解放の課題が,他の差別の克服の課題に含まれたり解消されたりしない理由である。
エンゲルスによって人類史を規定する要因とされた生活資料の生産と生命の生産に,男性と女性は,性的差異から異なったかかわりあい方をする。生活資料の生産には男女共に従事するが,生命の生産は女性の負担となり,そのため女性には生活資料の生産を中断しなければならない時期があるのに対し,男性は中断することなくそれに専念しうる。人類初期の生産力の低い段階では,二つの生産に対する男女のかかわりあい方の差は差別となってあらわれなかったが,生産力が上昇し余剰生産物が蓄積されるようになると,生活資料の生産に専念しうる男性は生産物と生産手段とを専有し,女性の労働,性的機能,人格を支配するようになる。なぜなら,女性が出産を制御する手段をもたなかった段階では,生命の生産は生活資料の生産と対等の価値をもつものにはならなかったからである。このような男女の支配服従関係は,家族という組織を生み,この組織によって固定化され再生産されてきた。また男女のこの関係は,支配する性としての男性の性格と従属する性としての女性の性格をつくり,これらの性格によって維持されてきた。さらにまたこの関係は,奴隷制,封建制,資本主義という階級社会を支え,これらの社会によって強化されてきた。
したがって女性を解放するには,生活資料の生産と生命の生産との関係,およびそれに対する価値観が変革されなければならない。この変革のための一つの条件は,受胎調節の技術が開発され,女性が出産をコントロールする力を手にいれることによってあたえられた。しかし二つの生産の関係を根本的に変革するには,性差別の組織としての家族の変革,女性の従属を当然のこととして容認してしまう男女の性格や意識の変革,男女の支配服従関係のうえにきずかれた階級社会の変革,という他の条件がそれに続かなければならない。これらの変革を通じて,精神的,経済的に,また生活者として自立した男女の平等な関係を保障する社会を樹立することが,女性解放の課題である。
歴史
性差別は古代から存在し,女性がそれを不当と感じたのもその時代からであったと考えられる。だが差別の状況から脱出する道を見いだせなかった時代の女性たちは,忍従をするか,来世での平等を説く宗教に救いを求めた。女性解放が現実の問題として意識されるようになるのは,近代にはいってからである。封建的共同体の崩壊,産業革命による産業構造の変化は,女性を拘束してきた家族の基礎を揺り動かし,封建的支配に対して人間の自由と平等とを主張した近代民主主義思想は,女性にも男性と同じ自由と平等を求めさせた。近代社会は,男女の差別的関係を基本的には変えなかったが,女性を抑圧してきた組織に動揺をあたえ,女性に自我の覚醒を促し,女性解放の契機をつくった。近代から現代に至るまでの歴史は,差別的関係を維持しようとする力に対し,その関係を掘り崩していこうとする思想が形成され,運動が進められた過程である。
封建的秩序と道徳が崩壊しはじめたルネサンスでは,男女の恋愛感情が肯定され,学芸にすぐれた女性があらわれ,宗教改革では僧侶の独身制が否定され,一夫一婦制が主張された。こうした前史を受けて,女性解放の要求が思想としてのかたちをとるようになるのは,フランス革命期であった。革命の自由と平等の原理を女性にも適用すべきだとして,フランスではグージュが〈女性と女市民の権利宣言〉(1791)を,イギリスではウルストンクラフトが《女性の権利の擁護》(1792)を,ドイツではヒッペルが《結婚について》(1793)を書いた。19世紀にはいると,女性解放の問題は社会主義のなかでとりあげられた。空想的社会主義者フーリエは共同社会ファランジュを建設して女性を解放しようとし,サン・シモン主義者は一対の男女を社会的個人とすることによって男女の平等を実現しようとし,マルクス主義ではエンゲルス,ベーベルが社会主義の実現で女性は解放されるとした。他方,ヨーロッパやアメリカ合衆国で婦人参政権運動,売春禁止運動,教育運動が高まるなかでジョン・スチュアート・ミルは《女性の隷従》(1869)を発表し,運動に理論的根拠をあたえた。また生物学,精神分析の発達は,男女の生物学的差異と女性の解放との関連に人々の目を向けさせた。受胎調節の技術の開発,E.ケイの《恋愛と結婚》(1911),エリスの性的差異の研究,ミードの未開社会における男女の性役割や性格の研究などは,その成果である。第2次世界大戦後に発表されたボーボアールの《第二の性》(1949)は,現代の女性解放運動に強い影響をあたえている。
日本では,女性解放は明治初期に福沢諭吉,森有礼,植木枝盛など男性啓蒙思想家によってとりあげられた。女性の思想や運動としては,自由民権運動に福田英子が参加し,廃娼運動が日本基督教婦人矯風会によって進められ,明治末期には平塚らいてうが雑誌《青鞜》を発行して自我の覚醒をよびかけた。大正デモクラシー期には婦人参政権運動をはじめ,労働運動,無政府主義や社会主義の運動に女性が参加し,平塚,与謝野晶子,山川菊栄のあいだで母性保護論争がたたかわされ,解放への道がさぐられた。高群逸枝は,女性史研究で業績をのこした。
20世紀前半の二つの世界大戦は,女性解放を人類共通の課題にした。大戦を契機に女性が大量に職場に進出し,多くの国で婦人参政権が実現したことは,女性に自分の能力への自信をあたえた。またファシズムが性と人種を差別して世界中に戦禍をもたらしたことは,人権の尊重と女性の解放が世界平和に不可欠であることを人々に意識させた。1960年代末にウーマン・リブの運動がアメリカ合衆国で発生し,急速にヨーロッパ,日本に波及し,この運動のなかであらゆる領域での性差別が問題となった。これらの差別を克服するために,アメリカやヨーロッパ共同体に属する国では,雇用平等法や性差別禁止法が制定され,国連の提唱で1975年が国際婦人年とされて〈世界行動計画〉がつくられた。さらに80年には,女子差別撤廃条約に,日本を含む多くの国が署名をした。
→女性労働 →女性史
執筆者:水田 珠枝
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