翻訳|skepticism
知識の確実性、客観的普遍性を疑うことをいう。懐疑はその働きによってさまざまな姿をとる。
〔1〕教義としての懐疑。懐疑がすべての知識に適用され、「すべての知識は不確実である」という知識として固定され主張される場合、自己矛盾に陥る。「すべての知識は不確実である」という知識それ自身が確実なものとされるからである。教義としての懐疑は絶対化されると自己矛盾に陥る。
〔2〕判断中止としての懐疑。「何事も定めず」(ヘレニズム時代の懐疑学派)、「私は何を知っているか」(モンテーニュ)は、〔1〕のように懐疑を一つの教義として固定せず、人間の知識の相対性を冷静に眺めることによって、心の平静を生み出す。その限りでは実践的意味をもつが、知的探究の放棄に陥る危険をもっている。
〔3〕方法的懐疑。デカルトの方法的懐疑は、すべてを疑うことによって知識の絶対的確実性へ至る方途である。彼は方法的懐疑によって、絶対に疑うことのできない「我の存在」のうちに最初のもっとも確実な知識をみいだした。デカルトにおいて、懐疑は人間理性への信頼と結び付くことになる。
〔4〕批判としての懐疑。懐疑は人間理性の能力そのものの批判として機能する。それは経験の領域を超えたものについての知識に対する懐疑である。この場合、かならずしも人間を感性的経験のうちに閉じ込めること(経験論)になるわけではない。パスカルにおいて、懐疑は人間理性そのものの限界を知ることによって、人間理性を超えた次元、信仰へと導くのである。それは理性の放棄ではなく、理性を超えたものを承認することが理性自身の最後の歩みなのである。カントは批判としての懐疑を完成させた。彼は理論理性の越権を批判することによって、実践理性にその本来の場所を与え、実践理性の優位を確立した。経験を超えた自由、魂の不死、神の存在は、道徳法則を介しての実践理性の要請とされた。
〔5〕結論としての懐疑は、自己矛盾か、知的探究の放棄に導くにすぎない。それに対し方途としての懐疑は、知識の探究にとってけっして欠くことのできない真理への道である。懐疑とはギリシア語skepsisで「探究」を意味している。知識の真の発展は、既存の知識の前提に対する懐疑によってのみ可能だからである。
[細川亮一]
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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