現代外国人名録2016 「ベラチャスラフスカ」の解説
ベラ チャスラフスカ
Věra Cáslavská
- 職業・肩書
- 元体操選手 元チェコ五輪委員会委員長,元IOC委員
- 国籍
- チェコ
- 生年月日
- 1942年5月3日
- 出生地
- チェコスロバキア・プラハ
- 学歴
- カレル大学卒
- 勲章褒章
- 旭日中綬章(日本)〔2010年〕
- 受賞
- フェアプレー賞(チェコ体育協会)〔1989年〕
- 経歴
- 1960年ローマ五輪では団体銀メダル、個人総合8位。’64年東京五輪では個人総合、跳馬、平均台で金メダル、団体銀メダル。’68年メキシコ五輪では個人総合、跳馬、段違い平行棒、床運動で4個の金メダルと団体では銀メダルを獲得した。大会直後、現地でヨゼフ・オドロジル(陸上選手)と結婚式を挙げ話題をまいた(のち離婚)。デビュー以来華麗な演技と美貌で観客を魅了、五輪で合計7個の金メダルを獲り、“五輪の名花”と称えられたが、’68年の“プラハの春”の際、チェコ自由化運動称賛の“二千語宣言”に署名したため迫害を受け、以後5年間にわたり職につけなかった。その後体操コーチに復帰。’89年秋以降の政変(ビロード革命)で再び脚光を浴び、同年12月体育労連中央委幹部会員に選ばれ、’90年1月ハベル大統領補佐官兼顧問、4月チェコスロバキア五輪委員長。同年2月新生チェコの大統領顧問として7年振りの来日。’92年4月ハベル大統領の訪日に同行。同年5月五輪委員長に専念するため大統領顧問辞任。’93年の連邦崩壊後はチェコ五輪委員会委員長を’96年まで務める。’95年〜2001年IOC委員。2020年の五輪開催では、チェコオリンピック委員会名誉会長として東京を後押しした。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報