チェコスロバキアの政治家。スロバキアのウフロベチ出身。幼時に共産党員の父に伴われてソ連に移住。1938年に帰国し、翌1939年共産党に加入、1941年からシュコダ工場の熟練工となり、1944年のスロバキア対独蜂起(ほうき)に参加した。第二次世界大戦後、地区の党書記を務め、1955~1958年にはモスクワの党学校で学んだ。1958年ブラチスラバ地区党書記、1962年に党政治局員に昇進した。民主化要求が高まるなかで、1963年にスロバキア党第一書記に選出された。1968年1月に辞任したノボトニーにかわって党第一書記に就任すると、人事一新、検閲廃止などの「プラハの春」の改革を推進した。同年8月ソ連の軍事介入(チェコ事件)の際モスクワに連行され、「正常化」を約束して帰国した。1969年4月に党第一書記を解任され、一時駐トルコ大使となったが、1970年には党籍を剥奪(はくだつ)され、ブラチスラバの森林監視企業に勤務した。1989年12月、民主化改革運動のなか名誉回復、チェコ連邦議会議長に選出される。1991年3月社会民主党に入党。1992年6月議長を退任、スロバキア社会民主党党首となる。同年交通事故に巻き込まれ死亡。
[木戸 蓊]
『Z・ムリナーシ著、三浦健次訳『夜寒――プラハの春の悲劇』(1980・新地書房)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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