ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペラギウス1世」の意味・わかりやすい解説
ペラギウス1世
ペラギウスいっせい
Pelagius I
[没]561.3.4. ローマ
ローマ出身の第60代教皇(在位 556~561)。544年にビザンチン皇帝ユスチニアヌス1世(在位 527~565)がネストリウス派の文書を糾弾する布告を出したことで三章書論争が起こった。553年解決に向け第2回コンスタンチノープル公会議が開催されたが,教皇ウィギリウス(在位 537~555)とともに出席を拒否し,三章書を支持した。ウィギリウスの死後,ユスチニアヌス1世と和解し,その強い要求をうけ 556年4月に教皇として登位。皇帝が教皇の世俗権力を認めて拡大したため,ペラギウス1世は教皇庁の政治権力の基礎をつくった。ビザンチン皇帝が教皇に敵対する存在ではなくなったため,教会の宗教的指導者としての役割は,蛮族の侵入を防ぎ,市民を守ることに変わった。一方で西方教会では,転向してコンスタンチノープル公会議の決議を支持したペラギウス1世の信仰を疑ってミラノ司教らが離反,教会分裂が 610年まで続いた。
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