西アフリカ,コートジボアール共和国(旧フランス領象牙海岸)南東部の都市。都市域人口411万(2003)。ギニア湾岸のエブリエ・ラグーンに臨む港で,ブルキナファソに通じる鉄道の起点であり,国際空港もある。1920年代にフランスが港湾都市として建設するまでは,原住民の小さい村落であった。コーヒー,ココア,木材,バナナなどのプランテーションの中心から,次第に商業,軽工業が発達し,34年に象牙海岸植民地の政庁が設けられた。50年に深水港が完工し,60年にコートジボアールが独立するとその首都となって急激に近代都市に成長した。66年に業務を開始したアフリカ開発銀行の本店もある。83年から首都を初代大統領ウフエ・ボアニー(1905-93)の生れ故郷ヤムスクロYamoussoukro(人口30万,2000)へ移転する作業が始まり,アビジャンは憲法に規定された首都ではなくなったが,現在でも国会や大半の政府機関はここにあり,事実上の首都といえる。アビジャン大学(1964創立),博物館,図書館,各種研究機関があって,西アフリカにおける学術・文化の中心となっている。アフリカで最も典型的な資本主義的開発路線をとってきたコートジボアールを象徴する都市である。
執筆者:西野 照太郎
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西アフリカ、ギニア湾沿岸にあるコートジボワールの前首都。人口319万9000(1999推計)、439万5243(2014センサス)。熱帯雨林の深い緑に囲まれるが、中心街プラトーには現代的な高層ビルが林立、この地域特有のラグーン(潟湖(せきこ))が入り組んだ景観は「西アフリカのベネチア」といわれる。1934年、植民地政府がバンジェール・ビルからここに首都を移したとき、人口数千の小さな漁村にすぎなかった。しかし、1950年にビリディ運河が開通してアビジャン港が外洋大型船の接岸可能な良港となったことを契機に、急速に発展し始めた。さらに1960年のコートジボワールの独立以降、同国の「奇跡的」といわれた20年間に及ぶ高度経済成長の過程で、人口100万を超える西アフリカ有数の現代都市となった。1983年遷都法可決、首都機能は漸次ヤムスクロに移されることになった。ブルキナ・ファソ(オートボルタ)の首都ワガドゥーグーへ向かう国際鉄道の起点。
[原口武彦]
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西アフリカ,コートジボワールの首都。1920年代までは小村であったが,フランス植民地時代の34年に政庁が置かれて以降拡大,コートジボワールが60年に独立した後,首都となり,資本主義的開発路線を象徴する近代都市に変貌した。
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