改訂新版 世界大百科事典 「ペーチュ」の意味・わかりやすい解説
ペーチュ
Pécs
ハンガリー南部,バラニャ県の県都。ハンガリー五大都市の一つで,ドナウ川以西ではセゲドにつぐ大都市。人口15万6342(2005)。教育,文化,工業の中心地で,観光地でもある。ローマ時代にはソピアナエSopianaeとよばれ南パンノニアの中心地で,通商,軍路の要地。この時代にキリスト教が入った。その後,フン族,アバール族の支配下に入り,9世紀にはフランク王国に支配され,847年にモラビア王国に属した。この頃には五つの教会があり,それゆえクインケ・エクレシアエQuinque EcclesiaeないしはフュンフキルヘンFünfkirchen(〈五つの教会〉の意)とよばれた。9世紀末にハンガリー人が入植し,1000年にはイシュトバーン1世が司教座をおいた。1367年に大学が設立された。1543年から1686年まで143年間トルコの占領下に置かれ,その軍事的・文化的中心地となった。この時代のモスクなどは今もなお残っている。1780年王国自由都市となる。19世紀中ごろから,周辺の鉱山(石炭など)が開発されて,工業都市として発展。1851年設立のジョルナイ陶磁器工場のほか,皮革工業や機械工業が有名。政治的にも重要な町で,1918年には反戦兵士の蜂起があり,19年には反革命の拠点の一つとなり,34年には反ファシズム鉱山労働者ストの舞台となった。第2次大戦後は,周辺にウラン鉱が発見されて,戦略的にも重要性を増した。同時に大学都市の一つであり,南西部ハンガリーの教育・文化・学術の中心である。
執筆者:南塚 信吾
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報