ホウラーニー(英語表記)al-Ḥawrānī

改訂新版 世界大百科事典 「ホウラーニー」の意味・わかりやすい解説

ホウラーニー
al-Ḥawrānī
生没年:1914-

シリアの政治家。法律を学び,1941年のイラクの反英運動,48年のパレスティナ戦争(第1次中東戦争)に参加する。その後故郷ハマーを中心に農地改革を主唱した。また,1943年以来61年まで連続して議員に当選した。1949年に農相,49-50年に国防相となる。50年アラブ社会党を設立し,のちバース党と合併した。57年に下院議長,エジプトとの統合期の58-59年に副大統領法相となる。63年のクーデタ後逮捕され,レバノン移住,シリアの現体制への批判的勢力結集を試みた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

20世紀西洋人名事典 「ホウラーニー」の解説

ホウラーニー
Hawrānī


1914 -
シリアの政治家。
元・シリア副大統領。
ハマー生まれ。
シリアの政治家で、1948年パレスティナ戦争に参加し、その後農地改革を提唱。’43年より18年間国会議員として活躍。’49年農相を経て、’49〜50年国防相を務め、’50年にはアラブ社会党を結成した(後にバース党と合併した)。’57年下院議長となった後、’58年より1年間は副大統領と法相を兼務した。’63年のクーデターで逮捕され、レバノンに移住する。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のホウラーニーの言及

【バース党】より

…彼らは民族的独立を目的とした従来のアラブ・ナショナリズムに対しさらに急進的な社会的闘争の目標を掲げた。47年党として正式に発足し,さらに53年ホウラーニーの率いるアラブ社会党と合併してアラブ復興社会党となった。党組織はイラク,ヨルダン,レバノン,スーダン,南イエメンなどに拡大し,機構としては,これら各国レベルの組織を統括する地域指導部と,これら地域指導部を全体として統括するパン・アラブ指導部が設置された。…

※「ホウラーニー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android