日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミクスチャー」の意味・わかりやすい解説
ミクスチャー
みくすちゃー
mixture
ヘビー・メタルやスラッシュ・メタル(より激しくスピーディーなヘビー・メタル)のギター・サウンドをファンク(1970年代から盛んになったダンサブルな黒人音楽)やヒップ・ホップ、スカ(後打ちのビートを特徴とするジャマイカ音楽)のリズムやラップとミックスした様式のロック・ミュージック。アメリカ西海岸のハード・ロックやハードコア・パンク(パンク・ロックのサウンドをより激しくノイジーに発展させた音楽)のグループがさまざまな音楽的混交を繰り返すなかで1980年代中期に成立した。初期のミクスチャーは、その名のとおり雑多な音楽要素、とりわけ黒人音楽の諸ジャンルを、ハード・ロックの語法の中で無理矢理に消化しようとした結果のアナーキーな音楽性が顕著だった。1980年代後半にメジャー・シーンに浮上していくにつれ、その音楽性はファンキー・メタルというミクスチャーの別称が示すとおり、ヘビー・メタル的な名人芸的演奏技能にファンクのビートを取り入れた様式的ハード・ロックへと収斂(しゅうれん)していった。
代表的なグループと作品に、フィッシュボーン『トゥルース・アンド・ソウル』、リビング・カラー『ビビッド』(ともに1988)、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ『母乳』、フェイス・ノー・モア『ザ・リアル・シング』(ともに1989)などが挙げられる。またアメリカ以外では中欧で特に人気を呼び、オランダのアーバン・ダンス・スクワッド『メンタル・フロス・フォー・ザ・グローブ』(1990)のように、アメリカでもヒットした作品も生んでいる。
ミクスチャーは、スラッシュ・メタルと共に西海岸のスケートボード文化のなかで圧倒的な支持を受け、1990年代に入るとヒップ・ホップの人気に伴い、ラップを取り入れてヒップ・ホップ色を強めるミクスチャー・グループが増加した。このスタイルを用意したものとして、1980年代にハード・ロックのギター・サウンドをサンプリングしラップを用いた人気ヒップ・ホップ・グループ、ランDMCの影響を指摘しておくべきであろう。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンによる『レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン』(1992)はそのようなラップ・ロックの先駆であり、1990年代後半に至るとコーン『ライフ・イズ・ピーチー』(1996)やリンプ・ビズキット『シグニフィカント・アザー』(1999)などのヒット作が続出している。
[増田 聡]