ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミツォタキス」の意味・わかりやすい解説
ミツォタキス
Mitsotakis, Konstantinos
[没]2017.5.29.
ギリシアの政治家。首相(在任 1990~93)。政治家一族の出身で父も祖父も国会議員を務め,著名政治家エレウセリオス・ベニゼロスは叔父。アテネで法学と経済学を学んだ。1941年,ナチスがクレタ島を占領すると抵抗運動に身を投じ,2度身柄を拘束され死刑判決を受けた。1946年に自由党から出馬して国会議員に初当選。1960年代初め,ゲオルギオス・パパンドレウが結成した中道左派政党,中央同盟に加わり,パパンドレウ内閣の財務大臣を務めた。1965年7月にパパンドレウが国王コンスタンティノス2世との権力争いに巻き込まれると,他の中央同盟議員らとともに離党,その後の一連の連立政権では国王の側に加わった。この行動は,のちに首相となるパパンドレウの子アンドレアス・パパンドレウの深い憎しみを買った。また,このあとの政情不安が,1967年4月の軍事独裁政権の発足につながった(→ギリシア・クーデター)。ミツォタキスは軍事政権によって逮捕されたが,のちにパリに逃れて反政府活動を展開した。1973年帰国,1974年に軍事政権崩壊後の選挙で無所属のリベラル派として立候補したが落選した。1977年に中道の新自由主義党を創設し,同党から出馬して当選した。翌 1978年,コンスタンティノス・カラマンリス内閣に入閣し,その後間もなくカラマンリスの中道右派政党,新民主主義党に加わった。1984年に党首となり,1990年に首相に就任した。しかし,その経済改革路線や外交政策は反発を招き,新民主主義党は 1993年の選挙で過半数を割り込んだ。ミツォタキスは首相の座を降り,党首も辞任した。
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