改訂新版 世界大百科事典 「ミッレト制」の意味・わかりやすい解説
ミッレト制 (ミッレトせい)
millet
オスマン帝国において公認された宗教共同体。オスマン政府は属地支配,とくに自領内のルーメリア(バルカン)やアルメニアなどに居住する非トルコ系非ムスリム系諸族住民の構成する共同体に対し,保護と支配とを兼ねる特殊な宗教自治体を設けた。これがミッレトである。語源的にはシリア語のメルタmeltaにまでさかのぼりうるアラビア語のミッラmillaに由来する。この制度の沿革はオスマン帝国以前にさかのぼり,古く,ササン朝では,ネストリウス派キリスト教徒に対し適用され,またビザンティン帝国では首都コンスタンティノープル在住のアルメニア人やユダヤ教徒を取り扱う場合にも同様の方式が適用された先例がある。アラブ諸カリフの支配時代には,異教徒従属民すなわちジンミーに適用されたが,この制度を最大限に活用したのがオスマン政府であった。ミッレトは自己の集団や集団内部の紛糾事の処理について責任を負い,また毎年行われるべき租税取立てに関して,オスマン政府に全面協力する責任を負う首長,すなわちミッレト・バシがおり,その管理・責任のもとに置かれるのが慣わしであった。ミッレトは,自己の法律や法廷をもち,かなり大幅に内部自治権を容認されていた。
オスマン政府は,ギリシア正教徒,アルメニア人,ユダヤ教徒の三大ミッレトをとくに重視した。ギリシア正教徒にはギリシア人,ブルガリア人,セルビア人などが含まれていた。オスマン政府はミッレト・バシが公正な態度を欠く場合にのみ,ミッレト住民保護のため干渉を加えることがあった。一方また,ミッレト住民は自己の宗教と伝統文化とそれぞれの生活環境の中で比較的平穏に生活できた。総じてミッレトがオスマン支配従属下にある非ムスリム諸族に対する処置とすれば,支配従属下にないトルコ在留の非ムスリム外国人に対する施策が,カピチュレーションであったとみなされる。ミッレトという用語はオスマン末期には民族という意味に転じ,現代トルコ共和国では国家の意味に転化している。
執筆者:三橋 冨治男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報