ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミトハト・パシャ」の意味・わかりやすい解説
ミトハト・パシャ
Mithat Paşa
[没]1884. ターイフ
オスマン帝国末期の政治家。本名 Ahmet Sefik。 1861年以後ドナウ沿岸州知事として示した手腕を認められ,パシャの称号を与えられて革新政治家として台頭。 1872年サドラザム (大宰相) に就任,1876年「新オスマン人」による反専制運動が成功し,アブドゥル・ハミト2世が即位すると,2度目の大宰相に任じられた。ナムク・ケマルらとともに憲法草案 (ミトハト憲法) を作成し,オスマン帝国では初めての立憲制が生まれた。しかし,アブドゥル・ハミトが専制政治に傾いて,1878年2月立憲議会が閉鎖されると,ミトハト・パシャはアラビア半島のターイフに流され,この地で没した。
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