モスフィルム(読み)もすふぃるむ(その他表記)Мосфильм/Mosfil'm

日本大百科全書(ニッポニカ) 「モスフィルム」の意味・わかりやすい解説

モスフィルム
もすふぃるむ
Мосфильм/Mosfil'm

モスクワ郊外にあるロシア連邦最大の国有映画会社。ロシア映画の創始者アレクサンドル・ハンジョンコフ(1877―1945)のスタジオを受け継いだゴスキノ(ソ連邦国家映画委員会)第1、第3スタジオをもとに、1924年に発足当初はソフキノ、ソユーズキノ、ロスフィルム、モスキノコンビナートなどと名称を変えながら改組を重ね、そのつど規模を拡大してきた。1935年からモスフィルムの名称で、劇映画専用撮影所として現在に至る。ソ連邦時代は面積34万平方メートルの敷地内に13の建物をもち、年間劇映画制作本数平均40、総製作本数は3000を超え、一時は従業員1000人を超す世界有数の撮影所であった。製作した映画のうち約600本が国内外の映画祭などで受賞しており、ゴスキノの一元的管理のもとでソビエト映画史の本流を築いてきた。

 ここで製作された代表的作品には、セルゲイ・エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』(1925)と『イワン雷帝』(1944~1946)、フセヴォロド・プドフキンの『母』(1926)、ボリス・バルネット(1902―1965)の『帽子箱を持った少女』(1927)、ミハイル・ロンム(1901―1971)の『一年の九日』(1961)、グリゴーリ・チュフライ(1921―2001)の『誓いの休暇』(1959)、ミハイル・カラトーゾフ(1903―1973)の『鶴は飛んでゆく』(1957)、セルゲイ・ボンダルチュクの『戦争と平和』(1965―1967)、アンドレイ・タルコフスキーの『僕の村は戦場だった』(1962)と『惑星ソラリス』(1972)、ゲオルギー・ダネリア(1930― )の『不思議惑星キン・ザ・ザ』(1986)、ニキータ・ミハルコフの『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』(1977)など、数々の名匠の秀作群が含まれている。

 ペレストロイカ以後1988年以降は独立採算制へ移行し、監督も企画決定に参加できるようになり、カレン・シャフナザーロフ(1952― )は『ゼロ・シティ』(1988)のような、カオスへ落ち込んだソ連邦を暗示するような不条理劇を製作し、ニコライ・ドスタル(1946― )は、連邦崩壊を予期するようなコメディー『君はどこにいるの』(1991)を監督した。ソ連邦崩壊の1991年以降は、モスフィルムに所属していた監督の率いる映画プロダクションが多数誕生した。その一方、モスフィルムとしての映画製作は、財政的基盤崩壊のため1桁(けた)台まで激減し、経営は過去の作品の著作権料とスタジオのレンタルと技術提供などで成り立っている。2000年に文化省の映画支援局の管轄下に入り、2001年にはロシア文化の「再構築」を唱えるプーチン大統領が、ロシアの映画企業再建の着手を指示したが、いまだ往時の勢いは見る影もない。1998年より監督のシャフナザーロフが社長を務めている。

田中 陽]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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