不条理劇(読み)ふじょうりげき(英語表記)theatre of the absurd

改訂新版 世界大百科事典 「不条理劇」の意味・わかりやすい解説

不条理劇 (ふじょうりげき)
theatre of the absurd

1950年代のフランスを中心として興った前衛劇。代表的な劇作家にパリで活躍したイヨネスコベケットアダモフジュネがおり,その影響を受けたイギリスのピンター,アメリカのオールビー,ドイツのグラス,ポーランドムロジェクなどの作品が含まれる。この名称を一般化したのはマーティン・エスリンの著者《不条理演劇》(1961)であり,それによると不条理の演劇は世界における人間の条件の不条理性を舞台に如実に提示するものである。演劇,とくに悲劇は古代ギリシア以来,人智を超えた宿命に翻弄される英雄を通して世界における人間のあり方を問いかけてきたが,それは観客に理解し得るなんらかの因果関係や価値観を前提としていた。しかし,この前提が20世紀に入るとしだいに崩れ始め,舞台は人間の行為の無償性と世界の無意味をあらわす場になった。1940年代の実存主義的な状況の演劇はその頂点であり,サルトルの《蠅》(1943),《出口なし》(1944)やカミュの《誤解》(1944),《カリギュラ》(1945)やアヌイの《アンティゴーヌ》(1944)などを生んだ。だがこれらの演劇は形式上は伝統的で明晰な論理と流麗な言語と緊密な劇作法とによって観客の同意を得ようとする思想劇,つまりは,不条理についての条理をつくした演劇だった。それにひきかえ,50年代の前衛劇は世界の不条理を舞台上の不条理に置きかえて提示する。たとえばイヨネスコの《禿の女歌手La cantatrice chauve》(1950)では日常的な会話の意味がしだいに失われ,文章,語,シラブルの間の論理的・文法的つながりが次々と欠落して言語が解体し登場人物が母音のみを叫び合うに至る過程が示され,ベケットの《ゴドーを待ちながらEn attendant Godot》(1953)では登場人物がいつまでも来そうもなく,誰ともわからない人物をなぜかわからないまま待ち続ける間の暇つぶしの無意味なお喋りと遊びが延々と続くだけで終わる。すなわち,観客の目前で不条理な内容が不条理に演ぜられるのがこれらの演劇の特徴であるといえよう。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「不条理劇」の意味・わかりやすい解説

不条理劇
ふじょうりげき
Théâtre de l'absurde フランス語

世界における人間のあり方を不条理ととらえ、それを劇の契機とする演劇。広く考えれば、すでに古代ギリシアの悲劇も宿命という名で不条理を劇の中心に置いているが、普通には、実存主義やシュルレアリスムの思想を背景に、カフカなどの影響を受け、ストリンドベリやジャリを先駆とする第二次世界大戦後のフランスを中心にした前衛劇をさす。世界の不条理と存在の無償性を示すために既成の劇形式を借りたのが、サルトルの『蠅(はえ)』(1943)や『出口なし』(1944)、カミュの『カリギュラ』(1944)や『誤解』(1944)である。これらの戯曲は、統一ある人格をもった登場人物の筋の通った行動によって劇を進行させ、その裏に隠れた不条理性を論理的に徐々に説明してゆく。これに対して、それをより直接的、具体的に観客に示すために古典的な劇概念を破壊したのが、イヨネスコの『禿(はげ)の女歌手』(1950)、ベケットの『ゴドーを待ちながら』(1953)、ジュネの『女中たち』(1947)、アダモフの『侵入』(1950)などである。これらの作品では、登場人物が自己同一性を、言語がその伝達能力を、時間・空間が現実性を失って、演劇そのものが不条理となるので、とくにアンチ・テアトルanti-théâtre(反演劇)とよばれることもある。しかし、既成の演劇の主題であった日常的な心理や性格の描写とそれに伴う物語を排することによって、人間の置かれた根本的な状況についての問いかけを純粋に舞台化した点で、むしろ演劇の原点に帰る試みであるともいえる。パリにおけるこれらの戯曲の上演の成功は国際的影響を及ぼし、イギリスのピンター、アメリカのオールビー、ドイツのワイス、ポーランドのムロジェクなどが輩出し、フランスでもアラバール、ワインガルテンらが活躍、さらに日本でも別役実(べつやくみのる)がこの傾向を代表している。

[安堂信也]

『マーチン・エスリン著、小田島雄志他訳『不条理の演劇』(1968・晶文社)』『『現代世界演劇6~8(不条理劇1~3)』(1971・白水社)』

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世界大百科事典(旧版)内の不条理劇の言及

【イヨネスコ】より

…48年に英会話の教科書をもじって,日常的な形式論理の無意味さや会話による意思疎通の不可能,それに伴う言語の解体,その帰結としての精神の崩壊という現代人の不安を如実に舞台化した《禿の女歌手La cantatrice chauve》(1950)を書き,〈反戯曲〉と副題をつける。さらに,言葉や事物がひとり歩きや自己増殖を始めて人間を圧倒する恐怖を黒いユーモアのうちに描く一幕物《授業La leçon》(1951)や《椅子Les chaises》(1952)などを発表し,50年代半ば以降いわゆる不条理劇の代表のひとりとして国際的評価を受ける。《無給の殺し屋》(1959)を転機に,主人公ベランジェを中心に展開する多幕物に進み,初期作品で失われていた物語性を回復し,《犀(さい)》(1958)の成功を経て《渇きと飢え》(1966)がコメディ・フランセーズで上演され,70年にはアカデミー会員に選ばれる。…

【性格劇】より

…イプセンの作品を典型とする近代リアリズム劇は,この意味で性格劇であるといえる。これに対して,人間の個性を認めない不条理劇などには,性格劇という概念は当てはまらない。【喜志 哲雄】。…

【前衛劇】より

…いわば,その後60年代から70年代前半にかけての世界的規模での前衛劇運動の高まりの原動力となったものであり,また狭義にはこの一連の動きのみをいわゆる〈前衛劇〉と考える人も少なからずいるという点で,いずれにせよこれらの新しい演劇は,20世紀演劇における前衛精神を考える上では,とりわけ大きな意味をもつということができるだろう。
[不条理劇の出現とその世界的な影響]
 〈不条理劇〉あるいは〈アンチ・テアトル〉の源泉は,世紀末のA.ジャリ作《ユビュ王Ubu Roi》の上演(1896)にさかのぼるというのが定説となっている。ポーランドという場所の指定がありながらも,かつ〈世界のどこの場所でもなく〉,開幕早々〈糞ったれ!〉という挑発的文句で観客を驚倒させたこの舞台は,のちのシュルレアリスト(シュルレアリスム)たちの演劇の指針となった。…

【不条理】より

…一方,19世紀後半以降,人間の条件としての〈不条理性〉への認識の深化は,人間の行為や表現の無意味さについての意識の先鋭化をもたらし,〈不条理性〉そのものの表現の探求に向かうさまざまな芸術作品を生み出した。イギリスの批評家M.エスリンは,ジャリに始まる演劇におけるこの探求を系譜づけ〈不条理劇theatre of the absurd〉と命名したが,〈不条理〉は演劇のみならず,現代における小説,詩,絵画,音楽の特性を表す言葉の一つといえよう。【山田 登】。…

【フランス演劇】より


【20世紀】
 20世紀フランス演劇をその変革の相においてとらえれば,大別して三つの時期を認めることができる。第1は,1913年,J.コポーによる〈ビユー・コロンビエ座〉創設から,両大戦間におけるL.ジュベ,C.デュラン,G.ピトエフ,G.バティの4人の演出家による〈カルテル四人組〉の時代,第2は,J.L.バローによるカルテルの遺産の発展と並行して50年代に起きる三つの事件,すなわちJ.ビラールによる〈民衆演劇運動〉と〈演劇の地方分化〉の成功,E.イヨネスコ,S.ベケット,A.アダモフ,J.ジュネらの〈50年代不条理劇〉の出現,そして〈ブレヒト革命〉であり,第3の時期は,68年のいわゆる〈五月革命〉によって一挙に顕在化した社会的・文化的危機の中で,演劇が体験した一連の大きな〈異議申立て〉(A.アルトーの徴の下に広がった〈肉体の演劇〉を中核とする)とその結果である。
[演出家の時代――コポーと〈カルテル四人組〉]
 演出家で集団の指導者をフランス語でアニマトゥールanimateurと呼び,20世紀を〈アニマトゥールの世紀〉と称するが,コポーはアニマトゥールの枠組みそのものを提示した人物である。…

※「不条理劇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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