知恵蔵 「ユーゴ空爆」の解説 ユーゴ空爆 国際社会や北大西洋条約機構(NATO)はバルカン地域全体の安全という観点から、コソボ紛争に強い関心を示した。紛争の解決に向けて、国際社会は第2次世界大戦後の国境線の変更を認めない立場をとり、コソボの自治の回復を掲げ、NATOによる空爆という脅しをかけながら、セルビア側とアルバニア人側との交渉を進めようとした。1999年2月、和平案を提示した連絡調整グループ(米英仏ロ独伊)の主導で、セルビア側とアルバニア人側の代表団がパリ郊外のランブイエに参集し、和平交渉が始められた。両者はコソボの自治で原則合意したが、軍事面での合意ができず、交渉は3月に再開された。この場で、アルバニア人代表団が和平案に調印したため、セルビア側代表団に圧力がかけられた。結局、ミロシェビッチ連邦大統領をトップとするセルビア側が、国家主権の侵害を理由に和平合意後のNATO主体による平和維持軍の駐留を拒否し続けたため、3月24日にNATO軍のユーゴ空爆が開始された。ユーゴ空爆は、国連安保理決議を経ていないだけでなく、NATO域外の国家に対する攻撃であったため、論議を呼んだ。米国側は空爆の論拠を合法性ではなく、正当性に求めた。空爆はアルバニア人の人権擁護という人道上の理由によっており、人道的介入は国家主権に優先する正当な行為との考えである。しかし、空爆の目的は果たせないどころか、セルビア民兵やユーゴ軍のコソボ制圧が激しさを増した。85万の難民が近隣諸国に流入する事態が生じ、紛争はいっそう悪化した。空爆が長期化する中で、主要8カ国(G8)が政治解決に乗り出した。今度は米ロ及び欧州連合(EU)が和平案を提示し、6月3日、ミロシェビッチ政権は和平案を受け入れるに至った。この結果、国連安保理の承認を得て、NATO主体の国際部隊(KFOR)が5万人の予定でコソボに展開することになった。78日間の空爆は、ユーゴ側発表によると民間人死者1200人、NATO側発表によると兵士死者5000人を出した。1万回を超えるNATOの爆撃によるユーゴの被害総額は1450億円に達し、バルカンの近隣諸国にも経済的な打撃を与えた。この空爆は、軍事力により民族紛争を解決することの困難さを示した。 (柴宜弘 東京大学教授 / 2007年) 出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報