通常戦力の規制(読み)つうじょうせんりょくのきせい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「通常戦力の規制」の意味・わかりやすい解説

通常戦力の規制
つうじょうせんりょくのきせい

通常(conventional、「在来型」ともいう)戦力は、非核兵器をさすこともあるが、アメリカ国防総省の用語では、核兵器、生物兵器、化学兵器などの大量破壊兵器(WMD)を除く兵器、兵力、施設などを含む軍備をさす。通常戦力は、護身用拳銃、施設防護の小銃から、治安維持や平和維持活動の複数人で運用する軽兵器類、海上警備、防衛・抑止目的の艦艇、戦車、航空機まで目的、種類、使用方法の幅がきわめて広く一律に規制することはむずかしい。したがって通常戦力の規制はあるが、それらはいくつかのやや特殊な条件のもとで可能になったものである。大きく分けると、第一に国際関係が成熟し紛争を相互に武力で処理しないことを暗黙に了解しあった地域における取決め、第二に「通常」といっても効果の残虐性が顕著で、人道的関心から忌避される伝統的な交戦法規あるいは国際人道法の発展としての取決め、第三に国際関係の攪乱(かくらん)要因に対処したり、直接の実質的な規制ではないが透明性を高め信頼を醸成する武器取引の情報交換、監視、管理の取決めなどがある。

[納家政嗣]

ヨーロッパの通常戦力規制

第二次世界大戦後のヨーロッパは、米ソの相互核抑止体制と東西二つの同盟間の力の均衡の下で戦争の起こりにくい状況にあったが、それを強化する多くの仕組みもつくられた。その代表的なものが冷戦終結期に合意されたヨーロッパ通常戦力条約(CFE)である。交渉自体は冷戦期からあったが、たとえば1973年に始まった中部ヨーロッパ相互兵力削減交渉(MRFA、MRFと通称される。西側の呼称はMBFR)は14年も続いたが、東西対立下では成果をあげることができなかった(1989年終結)。ヨーロッパ通常戦力条約(CFE)は、1975年に全ヨーロッパを対象とする画期的な「ヘルシンキ宣言」をまとめた全ヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE、35か国、1973年開始。1995年よりOSCE、55か国)の枠組みのなかで、NATO(ナトー)、旧ワルシャワ条約機構(WTO)という二つの同盟が行った交渉から生まれたものである。交渉はNATO、WTO加盟の23か国の間で1989年3月に始まり、1990年11月にCFE条約に調印した。同時に兵員の削減についても「ヨーロッパ通常戦力の兵員に関する交渉の最終議定書」(CFE-1A)に調印した。ところがその直後の1991年末にソ連が解体した。このためソ連の保有戦力上限をロシアを含む継承8か国に配分する修正を行ったうえで、条約はNATO、WTO加盟国とソ連継承国合計30か国の間で1992年に発効した。この条約は戦車、火砲、戦闘機など主要5兵器を、NATO、WTOそれぞれの全体的上限、対象地域を4地域に分類した地域ごとの上限、1国の保有上限を全体上限の3分の1に限定する(おもにソ連の優位規制)などを規定した。条約は冷戦終結という大変動に伴う国家間の疑心暗鬼を緩和し、情勢の安定に大きく寄与した。しかし影響力が後退したロシアは、1996年、CFE条約再検討会議において、情勢変化や北カフカス民族紛争対処などを理由に条約の全面改定を要求、全ヨーロッパ安全保障協力機構(OSCE)は条約改定交渉を決定した。条約は、東西ブロック別の上限を国別、地域別上限に改め、NATO側の上限を低くし、ロシアの地域別上限を引き上げるなど、修正された。こうして「CFE適合条約」が1999年に調印された。しかしその後NATOが、ロシア軍のジョージアグルジア)、モルドバからの撤退の履行を、NATOのCEF適合条約批准の条件としたこと、さらに2004年にかつて自国領域だったバルト三国、同盟国であったルーマニアブルガリアがNATOに加盟したことから、ロシアの不満はいっそう大きくなった。2007年、ロシアはNATOの条約未批准を理由に、CFE条約の効力停止を宣言した。

[納家政嗣]

特定通常兵器の使用禁止・制限

対人地雷禁止条約

通常戦力のなかでも冷戦後の人権・人道規範の高まりのなかで、とくに内戦状況で非人道性が際だつ兵器の規制が進んだ。この問題に対しては伝統的な国家間の国際人道法の拡大と、強い関心をもちかつ規制の実行可能な有志国と非政府組織(NGO)が連携して早期に条約を発効させるという、二つのアプローチがある。最初の非人道的な兵器の規制の議論は、国際人道法(ジュネーブ4条約)を武力紛争の変化に適合させるジュネーブ諸条約追加議定書(1977)の採択過程で出てきた。この問題はその後、国連会議で審議され、1980年に特定通常兵器使用禁止条約(CCW)が採択された(1983年発効、2009年1月時点で加盟108か国)。この条約は本条約と個別兵器を規制する五つの議定書からなる。冷戦終結前後、このうち多発する民族紛争などの内戦で大量に使用され、戦闘終了後も一般住民の生活を脅かし、復興を妨げる地雷、とりわけ対人地雷に関心が高まり、地雷を扱う議定書Ⅱは1996年に改正された(1998年発効、2009年1月、92か国加盟)。「改正議定書Ⅱ」は内戦に適用され、探知不可能または自爆装置のないものの使用は制限するなど強化されたが、人道的観点から即時の全面禁止を求める人々はなお不満であった。そこでカナダ政府、NGO(国際地雷禁止キャンペーン、ICBL)などが主導して1996年に対人地雷禁止のオタワ会議を開催、いわゆる「オタワ・プロセス」が始まり、1997年12月、対人地雷禁止条約オタワ条約)の署名にこぎ着けた(1999年発効、2009年1月時点で156か国加盟)。同条約は対人地雷の開発、生産、使用、貯蔵などのすべてを禁止するほか、発効後180日以内に保有地雷について報告、4年以内に廃棄、埋設地雷も10年以内に撤去することを義務づけている。地雷犠牲者に対する支援規定がこの条約の一つの特徴である。他方主要な生産・使用国であるアメリカ、ロシア、中国、インド、パキスタンなどが未加盟であるほか、条約義務の履行を確認する検証規定が貧弱であるなどの問題が指摘されている。

[納家政嗣]

クラスター爆弾禁止条約(CCM)

クラスター爆弾は1個の爆弾の中に多くの子爆弾を詰めて(集束)、爆弾重量当りの殺傷・破壊面積を拡大しようとする爆弾である。クラスター爆弾には200以上の種類があり、子爆弾数は目的によって異なるが戦車などの対装甲用では10発、対人・装甲車両用では200~250発程度と幅がある。問題は対人地雷同様、不発子爆弾が戦後にも非戦闘員を殺傷し、平時への復帰、社会の再建を妨げることである。不発率は少ないもので5%、しかし概して高く多い場合は40%に達する。1980~1990年代の内戦で大量に使用され、民間人を殺傷するその非人道性が際だつようになり、禁止への機運が高まった。この問題でも対人地雷と同じように二つのアプローチがみられた。まず特定通常兵器禁止条約(CCW)の議定書Ⅴ(不発弾など爆発性戦争残存物、ERW)の枠組みで2001年からこの問題が取り上げられた。しかしCCWにはアメリカ、ロシア、中国、インド、パキスタン、ブラジルなどのクラスター爆弾の生産、使用、備蓄国が含まれ、これらの諸国はクラスター爆弾の禁止には反対で、CCWの枠組みでの使用制限を考えていた。CCW加盟国専門家会合は2007年6月に始まったが、不発率を低くすることで技術的に事態を改善しようとするアメリカの関心に沿って議論が進み、結局クラスター爆弾規制の議定書草案は採択できなかった。

 これに対してノルウェーを中心とする有志国は、NGOと連携して2007年2月、オスロでクラスター爆弾禁止の国際会議を開催し、以後世界の諸都市で賛同国、NGOの国際会議を開催、条約草案を詰めた(「オスロ・プロセス」)。2008年5月ダブリンで一部の最新式のものを除いてクラスター爆弾を全面禁止する条約案が採択され、同年12月にオスロで署名式が行われた(2010年8月1日発効、2010年7月末、署名108か国、批准38か国)。この条約は、クラスター爆弾の使用、開発、製造、調達、備蓄、移転を禁止し、締約国に備蓄を8年以内に廃棄し、10年以内に不発弾残留地域から不発弾を除去することを義務づけている。ただ賛同国間でまとめられた条約の性格として、アメリカ、中国、ロシア、インド、パキスタン、イスラエルなど主要な生産・備蓄・使用国が加盟しておらず、条約の義務の履行やそれを検証するメカニズムが弱体という問題がある。

[納家政嗣]

小型武器の規制

移転(輸出)規制に分類されるかもしれないが、小型武器への関心も、冷戦後の内戦の激化や戦闘終了後の「暴力文化」の残存に対する人道的関心のなかで高まったものである。小型武器の非合法な流通を阻止し、過剰に蓄積された小型武器を回収、破棄することが平和構築にとって急務となった。ここでいう小型武器とは殺傷目的、軍事仕様で製造された、一人で携帯、使用可能な小火器small arms、数名で運搬、使用可能な軽兵器light weapons、弾薬・爆発物をさす(1997年政府専門家パネル報告書の定義)。ただし、このための条約や法的拘束力のある制度があるわけではない。国連などの会議やNGOが啓蒙活動によって規範意識を強化し、国連の会議などが採択する行動計画を加盟国が実行し国際協力の水準を高めてゆく、いわばネットワーク型の弱い制度である。

[納家政嗣]

通常戦力の移転の監視、管理

軍備登録制度

国際社会全体に適用される普遍的な制度として、国連の軍備登録制度がある。兵器移転の透明性を高めて信頼醸成を図るという考え方は新しいものではなく、国際連盟も1925年から加盟国による武器取引の情報提供を実施した。国連でも1965年にマルタが、また1968年には、デンマーク、アイスランド、マルタ、ノルウェーが兵器の輸出入の公表や登録にかかわる決議案を提出した。こういう考え方が実現したのが国連軍備登録制度(UNROCA)で、1991年12月に日本、EU(ヨーロッパ連合)による「軍備の透明性」に関する共同決議案が国連総会で採択され、1992年1月に発足した(1993年実施)。この制度は、加盟国が七つのカテゴリーの主要兵器(戦車、装甲戦闘車両、大口径火砲、戦闘機、攻撃用ヘリコプター、軍用艦艇、ミサイル・同発射基)について、毎年5月31日(1996年以前は4月30日)に過去1年分の贈与、バーターなどあらゆる形式の兵器移転を、数量ベースで国連事務局に登録するものである。法的拘束力のある制度ではないが、主要武器輸出国である国連安全保障理事会常任理事国5か国を含む90か国前後が毎年報告を行っており(2001年がもっとも多く126か国、2008年は90か国)、少なくとも95%以上の兵器移転の流れは把握できる。

[納家政嗣]

輸出管理、ワッセナー協約

情報交換やデータ集積を超えて兵器移転の規制に及ぶ有志国による制度がある。おもに供給規制(輸出管理)という形をとる。合意に達した例として、1995年12月に主要先進国(ロシアを含む)28か国が調印したワッセナー協約がある(1996年7月設立総会で発足、2009年4月時点で40か国参加)。これは冷戦期の対共産圏輸出統制委員会(ココム)が冷戦終結を機に1994年3月に終了したのを受けて、旧社会主義国も加えて改組したもので、ココムと異なりすべての国家、地域、およびテロリストなどの非国家主体も対象とする。地域の安定を損なうおそれのある通常兵器、関連汎用品・技術の過度の移転、蓄積の防止が目的である。輸出管理対象品目リストは、汎用品リスト(9カテゴリー、基本リストと機微とされる汎用品・技術を抜き出した機微リストがある)、通常兵器を網羅する軍需品リスト(22品目)からなる。情報交換として、通常兵器については国連軍備登録制度の7カテゴリーに小型武器を加えた8カテゴリーに関して、本制度非参加国への移転を通報する。この国際合意に基づいて、参加国は国内法によって輸出管理を実施し、これを参加国に通報して情報を共有し、懸念される国家、地域、グループへの兵器移転や過度の兵器蓄積を防止しようとするものである。

[納家政嗣]

ミサイル技術管理体制

もともと通常戦力を対象にするものではないが、ミサイルは運搬手段であり、搭載弾頭によっては通常戦力の移転規制という意味をもつ。ミサイル技術管理体制(MTCR)は、1987年に主要先進国29か国の合意により設けられた(2009年1月時点で34か国参加)。当初は核兵器の運搬手段の輸出管理として考えられたものであるが、湾岸戦争後、イラクが化学・生物兵器の開発も行っていたことが発覚し、1992年7月より規制対象が核・化学・生物兵器搭載可能なすべての弾道ミサイルおよび関連汎用品・技術に拡大された。MTCRはガイドラインとミサイル開発・生産にかかわる広範な軍事用・汎用の資機材、技術を掲載する付属書からなる。対象は射程300キロメートル以上のロケットなどで、これを搭載能力500キログラム以上と未満に分けて規制する。法的拘束力をもつ公式の制度ではなく、能力と意思をもつ有志国が国際合意に応じて国内法で実施し、政策を調整することで輸出管理の効果を高めようとする、非公式の制度である。なお、普遍的な不拡散規範として2002年に「弾道ミサイル拡散に立ち向かうためのハーグ行動規範」(HCOC、2009年1月時点で130か国参加)が採択された。

[納家政嗣]

EU兵器輸出行動規範

地域的な制度としてヨーロッパ連合(EU)の兵器輸出行動規範がある。兵器輸出に関するEU諸国間の情報交換制度であるが、そのなかには各国の兵器輸出許可申請に対する拒否案件情報の交換も含まれるので、規制の意味をもつ。1999年に導入され、2008年まで10回の年次報告書が公表された。EU諸国が国ごとに実施する兵器輸出許可申請の承認、輸出兵器、許可申請の拒否案件情報を交換する制度である。

[納家政嗣]

米州機構の兵器取得規制

移転規制の中心は持てる国家からの供給(輸出)規制が中心であるが、兵器輸入競争が地域の国際関係を不安定化することが懸念される場合には、受領国間の輸入規制が行われることもある。ラテンアメリカ諸国は、1958年以来、幾度か米州機構(OAS)の場などで、軍備あるいは軍事費の制限について討議してきたが、1974年12月には、アンデス諸国8か国がペルーでアヤクチョ宣言を発表した。同宣言は、あらゆる資源を経済・社会的発展に回せるよう「軍備の効果的制限、および攻撃目的のためのその取得の終了」を可能にする条件の創出を掲げた。冷戦終結後にも米州機構は同種の条約を形成した。1997年には「米州火器、武器、爆発物、関連物質の違法な製造・移転禁止条約」を採択した(1989年発効、29加盟国)。1999年にも同じ米州機構は米州通常兵器取得透明性条約を採択、2002年に発効した(2009年1月時点で12加盟国、アメリカを含む8か国が署名のみで未批准)。

[納家政嗣]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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