ヨハンナ(その他表記)Johanna

改訂新版 世界大百科事典 「ヨハンナ」の意味・わかりやすい解説

ヨハンナ
Johanna

中世ヨーロッパで広く信じられた伝説的な女教皇トロッパウのマルティンMartin von Troppau,マイイーのジャンJean de Maillyなど13世紀の年代記作者によって言及され流布した。それらによれば,彼女はイングランドに生まれ,ヨハネス・アングリクスJohannes Anglicusなる男性名でケルンに学び,学者として盛名をはせたのち,855年ころ教皇位に就任,ヨハネス8世を名のったという。一説行列途上分娩して女性であることが露見したと伝えられる。なお,タロットの2番目の絵札大アルカナ)は〈女教皇〉と呼ばれるが,上記の伝説が反映しているのかもしれない。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヨハンナ」の意味・わかりやすい解説

ヨハンナ
Johanna

伝説上の女教皇。9世紀中頃レオ4世とベネディクツス3世の間に2年半在位したとされる。 13世紀前半のフランスのドミニコ会士ブルボンのステファヌスの著『聖霊の7つの賜物』に初めて記された。そこでは 1100年頃教皇に選ばれたが懐胎していた彼女は,ラテラノ宮への行列の途上で出産し,人々に石で打殺されたとされる。その後この話は普及し,14世紀まではヨハンナという名がつけられ (異伝ではアニェス,ジルベルタなど) ,その伝説ではヨハンナはイギリス人 (一説に生地はマインツ) であり,ベネディクト会士に恋し,ともにアテネに行き,学殖を積み,ローマで枢機卿から教皇になったという。年代を教皇表のなかに書込まれる際,9世紀なかばにおかれた。ボッカチオペトラルカもこの伝説を信じていたし,16~17世紀にはプロテスタントの論争材料とされた。これが史実でないことを徹底的に立証したのは,カルバン派の D.ブロンデル (1647) である。

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